自然発生的なリーダーを考えてみると、
生活の中で、集団の同調性の中から、リーダーとして確定していくものだろう
自然な共感が基礎にあるはずであって
手段の平均から離れすぎてもいけない
そう考えてみると、非常に優秀なリーダーというものは
存在が難しいことになるだろう
自然発生的なリーダーではなく
宗教・呪術とか学問とか、あるいは戦争の強さとかならば、
それは制度としての、また目的達成のための、リーダーであるから
一応共感度数とは異なるなる選択次元であるが
やはり人間が人間に従うのであるから
集団同調要素は必要な物なのだろう
戦争だとか飢饉だとか、集団の克服課題が明確であるときは
同調性よりも卓越性が選択されるかもしれない
その卓越性の中にはカリスマ性があり、宗教的卓越性になると、同調性とは逆向きになるのかもしれない
ーーー
北朝鮮・人民民主主義共和国の宣伝や個人崇拝の仕方を見ていると
諸宗教の中に埋め込まれている、非宗教的・個人崇拝の仕方が炙りだされてくるようで興味深い
どれか手近な宗教団体の宗教活動から、北朝鮮の個人崇拝的要素を引き算して
何が残るのか考えてみるのがよいと思う
たぶん、何も残らないかもしれない