採録
E. O. Wilsonのいう多レベル淘汰
一つの部族の中では利己的な個体が利他的な個体に勝つが、部族間の競争では利他的な個体からなる部族の団結力が強いので戦争に勝つ。したがって利己主義と並んで、それを抑制する利他主義が遺伝的に備わっていると思われる。
オーストラリアのアボリジニは4万5000年ぐらい前から孤立しているので、氷河期の行動が残っていると推定されるが、彼らの通過儀礼は4ヶ月も続き、その間に儀礼のない日は1日もない。これは子供を一人前の「戦士」として鍛える儀式で、割礼などの痛みに耐えた者だけが共同体のメンバーとして迎えられる。人々は儀礼の間ずっと踊り続け、合唱や演劇が行なわれる。
言語や音楽は、こうした儀礼のために生まれた、と本書はいう。特に言語は、戦闘に際して敵味方をわける暗号として機能するため、それを習得することはきわめて重要だった。部族の規範に従わない者は容赦なく部族から追放され、それは死を意味した。実用的な目的のない音楽がすべての部族にあり、むしろ未開社会ほど激しく音楽や舞踏が使われることは、これが集団のために個人を犠牲にする儀式の道具だったことをうかがわせる。
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音楽というものの意味
同調性の確認ということが根底にあるとして
それは歌の多くが労働歌であったことからも分かるのだけれども
しかし現代に残っている歌は多く恋愛関係の歌である
歌手と呼ばれる人もセクシャルな側面を売りに出すことが多い
現代であればデートに誘って話をしたり食事をしたりする、そしてその先には儀式的ないろいろなことがある
古代では多分、求愛の儀式が、歌と踊りだったのだろうと思われる
充分な性的成熟の印、性的機能の充実、ハズレでないことを証明する、
そして異性に対してのアピールの根底にあるのは、同性に対してのアピールで、
同性の中でのヒエラルキーの確認の意味があるのだと思う
古代人がしばしば見せている
意味のよく分からない、しかし多分魔除けのような呪術的な意味のある、化粧のようなもので、
踊り歌うことで魔除けをして幸福が舞い降りることを期待したものだろう
そして幸福の一部は配偶者選択だったろうと思う
こうしたこと全体に通じて言えるのは、歌舞が
現実的に例えば食料が確保できるとか健康増進に役立つとか
そういう性格のものではなく
むしろ孔雀の大きすぎる羽のようなものなのだろうと
いうことだ
そしてその中の要素として、独自の合理的な方法を提示するのではなく、
ひたすら集団の規定した歌舞の方式に従ってという部分があるのだろうと思う
だからこそ流行現象が見られやすいのだろう