「オープンダイアローグ」は、フィンランドで採用されている新しい統合失調の治療法だ。
どういうものか?
「薬を一切使わず、会話だけで治してしまう」というもの。
この方法を導入して、西ラップランド地方全体で統合失調症の発症率が下がったというデータもでたそうだ。
ええええー、会話だけでそんなに治癒するの?
にわかには信じがたい話だが、
『精神看護7月号』の「オープンダイアローグ」特集を読むと、ほんとうに「会話だけ」で進める方法らしい。
2014年3月24日に「オープンダイアローグって何だ?」が開催され、特集では、そのようすが再現されている。
そこで、斎藤環は次のように説明する。
“まず、「うちの子がちょっとおかしいんです」みたいな訴えがあると、24時間以内に必ずチームを組んで駆けつける”。
そして、このチームが、“患者と患者にとって重要な人々(家族、友人、親戚、現場当医などその他の専門家)と共に集まって、車座で座り、そこで開かれた対話がなされるわけです”。
「開かれた対話」というのはどういうものか。
これが、雑談をしている感じだというのだ。
“妄想的なこととか,変な声が聞こえるんですとか、そういう話も全部含めて何を言ってもいい。むしろ、そういう発言が大事なわけです。それに対して、参加者が必ずレスポンス(応答)をする”。
最長で一時間半程度、それを毎日繰り返す。
良くなるまで、毎日会いにくる。
どうして、それで回復するのか?
対話が、「独り言(モノローグ)」を開くというのだ。
“統合失調症やそのほかの病理をかかえた人ほど、モノローグに陥りやすい”。
応えの返ってこない独り言を続ける。勘繰りがはじまってしまう。
この独り言を開くのが、「開かれた対話」なのだ。
“私はとにかく会話をさせます。すると、直接そのテーマを話し合っていないのに、お互いの考えが変わるんです”。
「オープンダイアローグ」のコミュニケーションの作法として、3つの原則が紹介される。
・不確実性への耐性
曖昧な状況下では対話こそが迷宮から抜け出る手がかりだという考え方。何が起こるかわからない、どうなるかわからないが、そこに耐えて会話を続けていくことが大切だ。
・対話主義
“コミュニケーションが成立すれば、自ずから人は社会化される”という信頼のもと対話をつづけること。“誰にも通じないような妄想的な言葉を喋り続けていた人が、みんなに通じるような言葉にだんだんと変わっていく”ことを目指しているようだ。
・社交ネットワークのポリフォニー
ポリフォニーというのは、多声音楽のこと。多数の旋律が同時的な絡み合いが音楽となる多声音楽を意味する。
そのように、異質な声、異質な発言があること、それらが接続されることが原則であり、“対話の目的は、合意に至ることではない”。
診断もしないし、家族システムがおかしいと糾弾もしない。
対話ができるだけ続くように配慮する。
“やりとりが新たな現実を作り出すようなシステムを目指して対話が続けられる”。
「オープンダイアローグ」が興味深いのは、統合失調症の治療に限定されるものではなく、われわれの日常的な対話のヒントにもなりえるということだ。
『精神看護7月号』の「オープンダイアローグ」特集は、
・「オープンダイアローグ(開かれた対話)が統合失調症の治療風景を変える可能性について」(@2014年3月24日 医学書院ナーシングカフェ講演より)
・「オープンダイアローグとべてる―Open Dialogue UKセミナー参加報告」
・「オープンダイアローグ 質疑応答」
の3本の記事で、オープンダイアローグがどのようなもので、どうして効果があるのか、どのような可能性を持っているのか等が、ビビットに伝わってくるものになっている。