文部科学省が大学入試改革を進めている。二つの新テストを導入し、大学ごとの個別入試では、面接や討論などで人物を多面的に評価するのが柱だ。しかし、人物重視の選抜では、本人の努力よりも育ちや環境の力が大きな役割を果たすことが多い。努力が報われるという点では、筆記試験中心の選抜の方が優れているのではないだろうか。  文科省は中教審の答申に基づき、大学入試センター試験に替わる「大学入学希望者学力評価テスト」を2020年度から、高校生の学力到達度を測る「高校基礎学力テスト」を19年度から実施する方針だ。この二つの

 文部科学省が大学入試改革を進めている。二つの新テストを導入し、大学ごとの個別入試では、面接や討論などで人物を多面的に評価するのが柱だ。しかし、人物重視の選抜では、本人の努力よりも育ちや環境の力が大きな役割を果たすことが多い。努力が報われるという点では、筆記試験中心の選抜の方が優れているのではないだろうか。
 文科省は中教審の答申に基づき、大学入試センター試験に替わる「大学入学希望者学力評価テスト」を2020年度から、高校生の学力到達度を測る「高校基礎学力テスト」を19年度から実施する方針だ。この二つのテストは、置くとしよう。疑問が膨らむのは、各大学の個別入試に求める改革の方向だ。
 個別入試では、学力評価テストの成績に加えて、小論文、面接、集団討論、資格・検定試験の成績、部活動やボランティアの記録などを用いて、「人が人を選ぶ」選抜を目指すという。ひと言で「人物重視の入試」とまとめることができる。
 筆記試験の点数は、努力次第で大きく向上させることができる。しかし、初対面の面接者に好印象を与えたり、討論で自分をアピールしたりする能力は、幼少時から家庭や地域社会で培われる部分が大きい。愚直な努力だけでは対応するのが難しいことが多い。
 資格やボランティア活動などの場合は、試験勉強以外のことに打ち込む余裕がある経済力と文化資本に恵まれた家庭の生徒が有利になりかねない。
 高校時代は学業が振るわず、部活動にも参加しない目立たない生徒だったが、浪人時代に猛勉強して難関大学に合格した人を何人も知っている。こうした「敗者復活」も難しくなるに違いない。
 筆記試験は透明性が高く、地道な努力の積み重ねが反映されるという大きな長所がある。筆記試験優先の入試が長年続いてきたことにはそれだけの理由があるのだ。日本はそうした選抜システムで、社会的流動性が高く格差の小さい社会をつくってきた。人物重視の入試はその成果を損なう恐れがありはしないか。
 筆記試験で知識よりも思考力を問いたいなら、内容を工夫すればよい。例えば数学オリンピックの問題など、そうした実例には事欠かない。(共同通信)