若者に職がない

日経新聞で、若者に職がないことを大きなスペースで扱っていた

日本だけではなく諸国で若者に職がない

日本では親世代が長寿化し、なかなか退職しないので
親よりも英語もできてコンピュータも得意な若者たちなのに職がない
と解説があった

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田舎にいては職がないから東京に行こうと思うのと同じで
日本にいては職がないから職がありそうな国に行こうと思うのが
経済の原理である
資源の再配分である
しかしそこには日本語の壁が存在している

日本国高齢者としても産業が廃れても嫌だし
税金も年金も欲しいし
若者が日本を見捨てて出ていくよりは
つなぎとめておいて
そのうち何かの新しい産業で目先を変えようということなのだろう

IT、金融革命、グリーン革命、次々にアメリカの後追い

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振り返って考えてみると、職がなくて生きられないって、どういうことだろう

今よりも貧しくて、寿命も短くて、
しかし自分たちの食べるものは自分たちで作って、という発想もある
例えば、江戸時代程度の人口で大半の人が農業に従事し
一部の人だけが何かもっと高度な仕事をするイメージ

でも、世界にはハイエナがたくさんいるので
自分だけ平和でいたいと思うなら相当の防衛が必要だろう

日本としては国際競争力を維持する必要があるとする意見も強いだろう

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もう国際競争力なんてどうでもいいじゃないか
静かにしていたい
という人たちと

そんな暮らしは嫌だ、たくさん儲けてたくさん使いたい
という人たちと

どのように妥協するかは難しいと思う

日本国内であれば
田舎にとどまり祖父母と農業をして暮らす人と
東京で金融業をやる人とは
個人の選択の問題である

しかし日本という国がどうするかを考える時は
そんな訳にはいかないと錯覚するので話がややこしい

国というものは仮想的なもので、世界は個人の集まりなのだと考えれば
自分の欲しい人生がある場所に行けばそれでいいはずのものだけれども
そして、未来にはそうなると思うけれども、
現状では国家の縛りは緩くはない

国というものが仮想的なんてとても考えられないという意見もあるだろう
それはそれぞれの経験からの感覚なので
なかなか一概にどうこうと説得も難しい

鹿児島に住んでも、大阪に住んでも、東京に住んでも、
それぞれに人生があるという程度にはなっているが
将来は国際的にもっと気軽に生きる場所を選択できるようになればいい

その頃に、日本はどういうポジションでいるかというのは
長期的な視野で考えておかなければならないだろう

世界の中で、アジアの中で、日本という国に住めば
どういう人生がありますよと、アピールできるのか、
どういう人生を目指す人に集まって欲しいのか

アメリカ的にやりたいのならアメリカで生きればいいのだし
中国的にやりたいなら中国に行けばいい
そのころに中国が受け入れてくれればの話であるが

リスクとリターンとか、福祉と負担とか、自由か平等かとか
自然との共生か、自然の改造かとか
幾つかの軸で、多様な選択肢の中の一つを提示できればいいと思う

アメリカ的なものとの葛藤よりも
中国的なものとの葛藤を克服することが課題になるのかもしれない

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国民として一つの道を選ぶというのはなんだかもう無理があるような気がする