骨太とは「骨が太いこと。骨格のがっしりしていること。」であって それ以外はない。政府予算の基本骨格を「骨太の方針」と表現して違和感を感じない言語感性はどうしたものだろう。

"今年も政府予算の基本骨格である「骨太の方針」が発表された。
この奇妙な言葉「骨太」を聞くと、小泉・竹中を思い出し大変嫌悪を感じるのだが
それ以前に、日本語として完全に間違っていると感じてしまい、その点でも嫌悪を感じる。

基本骨格でも基本方針でもいいと思うのだが
どうしてわざわざ「骨太の方針」などという意味不明の言葉を使うのだろう。

骨太とは「骨が太いこと。骨格のがっしりしていること。」であって
それ以外はない。

政府予算の基本方針に「骨太」も「骨細」もないだろう。
こういう日本語を使う種族は頭が腐っているとしか考えられない。

「体の線が細い」に対して「骨太の体」という表現になる。
「牛乳で骨太の体になる」とつかう。
政府予算について「骨太の方針」とはどう考えても、受け容れられない。

政府予算は「骨太」と形容することはできない。「骨が細い」とも「線が細い」とも形容できない。

骨太の人間はいるが
骨太の方針は存在しようがない。"