現代の日本の状況で「方言」がなくならないのはどうしてなのだろう
毎日テレビやラジオ、さらには出版物で東京の言葉を理解しながら
自分たちは方言を貫徹している
現在のお年寄りが子供だった頃はラジオもなかった頃だろうから方言の習慣は強い
生まれた時から東京弁と方言のバイリンガル状態で育った人たちが
あっさりと方言を忘れるものだろうか
必要がない場面では使わないとしても、やはりココロのOSは方言が土台になっているのではないだろうか
子供の頃、見たまま、聞いたままを作文に書けばいいのだとか言われたが
聞いたままを作文することができない
方言を正確に表現する文字がないからだ
これではあかんだろう、と子供ながら思った
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そう思ってテレビをみているとおかしな感じの方言がたくさん出現している
人工的なテレビ用の方言というものだろうか
不思議なことをするものである
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これが中央集権国家というものなのだろう
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日韓中で基本漢字の共通化を進めようということで会議が開かれているらしい
なんという素晴らしいことだろう
漢字文化圏の復興というべきか
台湾が使っている昔の漢字がもとの漢字に近いのだろうと思うが
いまでは日中韓それぞれの事情があって少しずつずれたものになっている
そもそも我々日本人が昔の漢文をそれなりに意味を解釈できるというのも素晴らしいことだと思う
唐の時代の言葉を学んでいる人などいないのだから
その点では日中韓とも、唐時代から、それぞれの角度で、適度な距離に離れているのだろう
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英語植民地状態で日本語がどれだけ英語を取り込むかということは大きな問題である
カタカナでもいいし翻訳した形でもいいのででんどん取り入れて日本語を豊かにすべきだと思う
将来は日本語を使う人口が減少し、希少言語になり、世界遺産に指定されたと言ってまた喜ぶのかもしれないが
細くなってもいいから昔の日本語(つまり現代の日本語)が読める人が続いてほしい
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方言がなくならないのはなにか重大な理由がありそうなのだが
よくわからない