吉田秀和氏が亡くなって
主題と変奏ということを改めて考えた
なぜ脳は延々と繰り返される変奏を心地良いと思うのだろう
第一には、変奏は、安定なのだと思う
変化があっても、一定の範囲内であること
それは生存に心地よい
第二には、音楽は、予想と現実の一致を確認して脳が快感を感じるという
脳の基本機能を反映しているのだと思う
主題と変奏という考えをしなくても、音楽そのものを我々は繰り返して聞く
小説や随筆を繰り返してんだり
テレビドラマや映画を繰り返して見るよりも
はるかに多く音楽を繰り返して聞く
それは音楽が時間そのものだからだろうと思う
時間軸にそって脳は予想する
そして現実と照合する
音楽を繰り返して聞くほど予測の精度は高くなる
音楽は予測が現実と一致することの喜びであり
またその反転として、予測が現実と一致しないことの快感である
演奏家と聴衆はそのような予測の交換をしている
だからいい音楽ほど繰り返して聞きたくなる
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精神医学の世界に引きつけて言うと
人間の精神は主題と変奏である
原初、脳にはDNAによって規定されたアルゴリズムがある
そこに最初の環境が代入される
そしてそれはたいていが母親である
母親という環境に対しての反応が精神の第一層である
今度はその第一層がアルゴリズムそのものとなり
次の環境に対して反応しその結果を取り込む
それが第二層になる
次は第二層がアルゴリズムとなり、そこにまた新しい環境が代入される
そのあたりはたいていは父親とか祖母とか兄弟とか、そのあたりだろう
以下、人生は同じ
主題と変奏そのものである
核家族の問題点はそのあたりにもある
母、父、兄弟、その後の濃密な対人関係を経験しない
細かく言うと、第n層が必ず第n+1層のアルゴリズムになるわけではない
それが退行で
第n-m層が第n+1層のアルゴリズムになることがある
そのようにして分岐は複雑化してゆく
しかし原則そのようなものであり
心理学は主題と変奏である
病気になったとして、第p層が機能しなくなると
その下の第p-1層機能が現れる
症状の観察としては第p層の機能が失われていることと
第p-1層の機能が(余計な、過剰なものとして)現れていること
が観察されることになる
それを区別しながら観察すれば有益である
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それを解きほぐすとなれば
時間が掛かるのはやむを得ない
また多彩な場面設定で
多彩な退行状態を引き出す必要も生じる
主には偶然に頼ることになる
そのような遠い道のりよりも
精神薬理学が確実で近道である
しかしそうは言うものの精神薬理学がすべてを解決するのでもない
精神薬理学は解決のきっかけをくれる
または解決までの時間をくれる
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人は親を選べない
人は主題を選べない
それはすでに与えられた条件である
そして変奏もまた同様である
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その意味で自由意志は錯誤である
させられ体験が実は真実である
それを自由意志と錯覚するような回路が組み立てられているに過ぎない
させられ体験や幻聴は『錯覚回路の故障』である
錯覚がなくなったとき人は苦しくて、自殺さえ考える
そのようなものらしい
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そしてさらに大きな構図で考えると
自由意志の錯覚を喪失するような体験もまた
主題と変奏の一部である