ここ数年のことを考えても、 若い人たちは我々の時代と比較して 猛烈な速度と密度で物事を理解していると思う ニュートンの時代ともアインシュタインの時代とも違う はるかに違う時代になっている そんな時代にあって振り返るのだが、 昔の人達の努力は大半が無駄だったような気がするのだ たとえばコンピュータがあれば短時間で解決できる問題とか DNA解析機があれば短時間で解決してしまう問題とか あるいは現代の手法を用いれば苦労なく確実な結論に至る問題とか または問題のように見えて擬似問題でしかなかったとか いろいろ

ここ数年のことを考えても、
若い人たちは我々の時代と比較して
猛烈な速度と密度で物事を理解していると思う
ニュートンの時代ともアインシュタインの時代とも違う
はるかに違う時代になっている

そんな時代にあって振り返るのだが、
昔の人達の努力は大半が無駄だったような気がするのだ

たとえばコンピュータがあれば短時間で解決できる問題とか
DNA解析機があれば短時間で解決してしまう問題とか
あるいは現代の手法を用いれば苦労なく確実な結論に至る問題とか
または問題のように見えて擬似問題でしかなかったとか
いろいろと分かってしまう時代になった

自然科学と将棋は違うけれども
圧倒的なデータ量と圧倒的な計算速度で
人間の脳とは違うアルゴリズムで問題を解決する

過去の偉人は依然として偉人である
現在の基礎を築いた巨人である
しかしこれからの速度と密度は個人の努力を超えてはるかに遠くまで行くだろう
そう考えると、これまでの人々の努力は、ありがたいことではあったけれども、なければなくてもよかったな、くらいの位置づけになるかもしれない

一方で、大半の人は理解もできないし、ついても行けないだろう
そしてただ結論だけを教えてもらうだけの存在になるだろう
それは仕方がないことだと思うが悲しい現実だと思う