人の命が永遠になったら
もののあわれもないだろうと言うのであるが
個人の命は永遠ではないけれども
DNAが継続されて誕生と死を繰り返している様子は
永遠の変化版とも言えるだろう
個人が永遠に生きるのは、環境が変化することを考えると不利なことで
個人は誕生と死をくり返して、種としてはDNAが少しずつ変化しながら継続するという方が有利である
ところが個人の意識は、個人を超えて遺伝するものではないので、DMAとは振る舞いが違う
文化とか集合的な意識という形で継続される部分はあり、それはそれで大きいのだけれども、
やはり個人の意識は個人でおしまいとなり、
次の世代は誕生とともに、最初から学ぶ必要がある
そこを省略すると環境適応が悪くなってしまう
しかし省略しないと、人間としての基本をいつも学び直さないといけない
ここにはジレンマがある
将来、人間が完全人工環境を手に入れて、
子どもたちはその環境を、現在の何倍もの速度で学ぶようになるだろうか
そうなれば、人類進化の根本が変化するだろう
善悪とか恋愛とか情愛とか嫉妬とか尊敬とか、短時間で学び、卒業できるようになるのではないかと期待される
自然科学の場面では圧倒的に実現していて
加速度的に進歩している