ソニーショック前夜の話

1回目、2回目とお話を聞いていると、随分と出井(伸之、ソニーの会長兼CEOなど経営トップを歴任)さんとの確執は根深そうです。
土井氏(以下、土井):自分の書籍に『マネジメント革命』という本があって、その中でダメな上司の典型例をいくつかパターン化して紹介しているんだ。
 その一つに、「改革かぶれマネジメント」というのがある。初めて打ち明けるけど、これは出井さんをモデルにして書いたんだ。
 要するに、「おまえらが今までやってきたことはさっぱりダメだ。これからはこうやるんだ」と、過去を全部否定して全てを変えて、変革の旗手になろうとする経営者の典型例だったんだな、出井さんは。
 「改革のヒーローになりたい」という願望からこういう行動をしてしまう。何もかも新しくしなければいけないというプレッシャーから、従来のソニーの良い部分まで全部破壊してしまったんだ。
 厄介なのは、自分に確固たる信念や価値観があって新しいやり方を導入するのではなく、「ヒーローになりたい」という自己顕示欲が動機なものだから、当然、掛け声倒れでうまくいかない。
 今までの創業者世代があまりにも持ち上げられてきたし、サラリーマン経営者として登場することになる出井さん自身の劣等感の裏返しでもあったんだと思うよ。自分がソニーの新時代を改革するヒーローになって、「創業者世代や、それを信奉するエンジニアたちを見返してやる」という思いが強かったんじゃないかな。
 ただ、確固とした軸がないから、当然、社内ではちぐはぐな事象が起こってくる。例えばAIBOはネット販売で売れていたんだ。ソニーでは最初のネット販売だった。だけど出井さんは、あれほど「ネットの時代だ」と言い続けていたのに、AIBOをネットで販売したことは、自分の言い出した案ではなかったしAIBOも認めていなかったので、決して評価しようとはしなかった。
 路線は同じでも、自分が主導したことでないと気に入らないんだ。過度なトップダウン重視といってもいい。
 僕が説明したフロー経営は、トップダウンというよりも現場から湧き上がる内発的なモチベーションを重視する。トップが言ったことしかやれないなら現場のモチベーションは落ちてしまうよ。
「現場に任せてうまくいったら大変だ」を乗り越える
土井さんが提唱する「フロー経営」は、創業時で会社規模が小さく、社長が社員の顔と名前を把握できるくらいの組織でなければ、実現できないようにも思えます。
土井:フロー経営は、組織の大小は関係ない。社員数が少ない小さな組織の方がやりやすいかもしれないけれど、組織が大きくなってもできるものだ。
 ただ、組織が大きくなり社員数が増えるにしたがって、経営トップのマネジメントの手腕や人格が、より問われるようになるから、決して簡単ではないよ。もう管理型になってしまった大企業であれば、時間をかけてマネジメント層の人材を、上から徐々に変えていかなきゃいけない。
 井深(大、ソニー創業者)さんなどがやってきた、現場を信頼して任せる経営って、言うは易しだけど、実践するとなると実はとても難しいんだよ。フロー経営は現場に任せる経営。任せるには、自分が先頭に出ず、現場を信用して権限を委ねるということなんだ。
 今、「天外塾」という経営塾で経営者を指導しているけれど、ほとんどの経営者は葛藤のエネルギーで経営している。葛藤が強すぎると、自分が先頭に立って戦っていないと精神的に不安定になる。そうすると「自分が主導せずに誰かに任せてしまうと、うまくいかないのではないか」という不安が強くなるんだ。任せてはみたものの、最終的に失敗してしまうと、「自分が責任だけ取らされてはかなわない」という意識だね。
 でもね、こういう葛藤のエネルギーで経営している経営者でも、サイコセラピーを進めていくと葛藤が徐々に解消されてくる。すると最初に直面する、「現場に任せてうまくいくのか」と不安の奥底に、今度は「任せてしまって、うまくいったら大変だ」という不安も見えてくるんだ。つまり、「自分が関与していないのにうまくいったら自分の存在価値がなくなる」という不安だよ。
 だけど、これらの不安をしっかり直視して乗り越えることができれば、ようやく昔のソニーのようなフロー経営ができるようになる。創業者世代のソニーの経営者、井深さん、盛田(昭夫、ソニー創業者)さん、大賀(典雄、元ソニー社長)さんなどはそれが自然にできていた。
 これは、10年以上にわたって僕が多様な経営者を指導してきてようやく分かった真理だよ。
 報道を通じて言動を見ている限りでは、今のソニーの経営陣には、そういう人はいないよね。現場に任せるというよりは、「俺が、俺が」という、自分が引っ張ろうという意識が言葉に出ていて、現場に任せる感じではない。だから数値目標や成果主義という管理が必要になる。
 もちろん、今のソニーにも優秀な人は多いと思うよ。いい大学を出ているし、社会人になっても上司の理不尽な意見に対して自我を殺して受け入れるとか、そういうサラリーマンとしても優秀な人は多い。だけど、こういう優秀な人ばかりでは、フロー経営には戻れない。
外部の人間が考えた「デジタル・ドリーム・キッズ」
出井さんがソニーの経営トップだった時代に、彼に進言できるような立場の人は、本当に誰もいなかったのでしょうか。
土井:その頃にソニーの経営に近いところにいたからこそ言える、偽らざる事実を述べるよ。
 さっき説明した通り、出井さんは改革のヒーローになりたくて自分の言った通りにしたかった。だから自分の周りをイエスマンの事務方と、あまり骨のない三流エンジニアで固めるようになったんだ。これが最終的に、ソニーショックに突っ走る契機になったと僕は考えている。
 上司の言うことばかりを聞くエンジニアなんて三流だからね。昔のソニーは、上司の言うことを聞かなかったり、上司に隠れてやりたいことをやったりするような奇人変人や、確固たる信念を持って自分が正しいと考えるモノを開発するような侍のようなエンジニアがたくさんいたんだ。
 でも三流エンジニアや官僚のような事務方が出井さんの周りを固め始めると、新しいものを生み出す一流エンジニアは日の目を見なくなる。そういう状況がそこかしこで見られるようになったんだ。
 一方、出井さんが特に重視したのは外部のコンサルティング会社だった。毎年のようにものすごい金額のコンサル料を払っていた。「デジタル・ドリーム・キッズ」といったスローガンもコンサルや外部の人が考えていたものだからさ。
 出井さんが支払っていたコンサル料は、当初は年600万円くらいだったのだけれど、CEOを退く2005年頃にはその5倍の年3000万円くらいになっていた。なぜこんなことを知っているかというと、最初は、出井さんのブレーン集団が僕の下にいて、僕がこれらのコンサル料を決済していたからだよ。
 最後は社内の圧力が強くなって、コンサル料を落とせなくなって、私が役員を務める子会社で落としたくらいだから。その会社の役員会で、出井さんのコンサル料の決済が上がってきてびっくりしたよ。自分が役員を務めていた会社とは、まるで関係のない出金だったからね。出井体制の最後の頃は、よりどころとしていたコンサルの料金をどこで決済するのか、出井さんも本当に困っていたようだったね。
「ネット戦略」のネタ元はジョージ・ギルダー
土井:最初の頃は僕もコンサルの出すレポートに全部目を通していた。でも、どれもひどいものばかりでね。ソニーの研究所の人間からすれば知っているようなことばかりで、コンサルが流行言葉を取り入れて、もっともらしく未来予測をしているわけ。
 ソニーの社内に最先端技術があって、未来を正確に予測できる人材がいたのに、それを信用せずに、外部のコンサルの耳障りのいい話ばかりを集めた三流レポートを信じてしまったのが出井さんだよ。
 出井さんが好きだった「ネット時代が到来する」という話も、ジョージ・ギルダー(米国の経済学者、ブロードバンドやネットワーク時代の到来を主張し、ビル・クリントン元大統領やアル・ゴア元副大統領時代の「情報スーパーハイウェイ構想」に影響を与えた情報通信産業研究の第一人者でもあった)の話が中心で、当時すごく人気があった学者の受け売りだった。
 「ネットの時代が来る」と社内外で繰り返し主張していた出井さんは、ギルダーが言っていることをそのまま書いている三流コンサルのレポートを見ていたんだな。私や周りのエンジニアは、ギルダーの話や著作は、英語の原文で読んでいてもう知っている話。しかもコンサルが要約したものを読んでいるわけではなく、原文を読んでいるので、本質までつかめている。
 そんな状況なのにソニーの社内会議では、出井さんが外部コンサルのレポートで読んだギルダーの話を自慢げにするわけ。「お前ら、世の中はこうやってネット社会になっていくんだぞ。知らなかっただろう」とね。優秀なエンジニアは「そんな話は常識で、もう知っているよ」みたいな感じで興ざめだったよね。
 周辺をイエスマンで固めているから、出井さんに「そんな話は優秀なエンジニアならば周知の話です」と指摘する人もいないし、掛け声だけでは具体的なビジネスは生まれないと進言する人もいなかった。軌道修正を促す人もいないから、出井さんはそれがソニーを改革するための、唯一かつ正しい道だと勘違いしてしまったんだろうね。
 その頃から段々、ソニーの社内がおかしくなっていってね。世の中でギルダーの話が流行らなくなっても、出井さんのネット熱は下がらなかった。事業本部をネットワークカンパニーと呼んでモノ作りから脱皮しようとした。ある意味ではモノ作りを破壊したんだな。
 出井さんは世の中受けするパフォーマンスが好きだったので、ネット対応の話を株価対策的にやっていた面もあるかもしれない。だけど、あの社内会議でのはしゃぎようを見ていたから改めて思うけど、本当にコンサルのレポートの話を信じていたんだろね。
 だけど不思議なことに、ソニー社内にもネットワークに詳しい人はたくさんいたのに、そういう人の話は一切、聞かなかった。なのに、自分の周辺を固める三流コンサル、三流エンジニアの心地よい言葉ばかり聞いて、ソニーをおかしな方向に導いてしまった。
――そして2003年4月のソニーショックを迎える、と。
「出井さんをカウンセリングできないか」
土井:あの頃のソニーの社内がどれだけおかしくなっていたのかを象徴するのは、心理カウンセリングの話かな。
 ソニーショックは2003年4月。その2年前に、ソニー人事部に所属していた心理カウンセラーが僕のところへ相談に来たんだよ。僕はユング(カール・グスタフ・ユング、スイスの心理学者)の話を本に書いていたからね。
 その時彼女は、「ソニー社内でうつ病の社員がものすごい勢いで増えていて、大変なことになっている」と言ったわけだ。従来のソニーには全く不慣れな合理主義経営を急速に取り入れたもんだから、2001年頃から急速にうつ病社員が増えたんだ。
 彼女の分析では、社員にうつ病が増えているのは、「出井さんの圧力が強すぎるからではないか」ということだった。震源地はそこなので、うつ病になった社員や、なりそうな社員のカウンセリングを個別にしていても解決にはつながらない。だから出井さんをカウンセリングして、社内の雰囲気を変えられないか、という相談だったんだ。
 さすがに、売上高数兆円規模の企業の経営トップを、心理カウンセリングするというのも異常な話だよね。だからユング派の心理学者で、当時の文化庁長官だった河合隼雄さんと出井さんを対談をさせて、その対談を通じて心理カウンセリングできないかという話になったんだ。
 ソニー人事部にいた心理カウンセラーが河合さんの弟子だったから、そういう案が出たわけだ。だけど結局、対談は実現しなかった。最終的には河合さんの講演会という体裁にして、出井さんにもそこに来てもらう形にしたけれど、ほとんど意味はなかったな。
 その後、そのカウンセラーの尽力で、事業部長など幹部向けの、うつ病対策の心理カウンセリング制度がソニーにできた。だけど社員にうつ病を生み出す震源と考えられた出井さんの心理カウンセリングは実現せず、根本的な解決にはつながらなかった。
 出井さんから発せられる「俺の言うことを聞け」というプレッシャーが、部下にはものすごかったんだと思う。でも経営トップの言う通りにしても、実際のビジネスがうまくいかないというジレンマが出てきていた。そういう状況で、重い責任を抱える人が次々にうつ病になっていってしまったんだろうね。
 出井さんがそういう圧力を部下にかけていた根源には、きっといろいろな劣等感があったんだと推察するよ。葛藤の中で、いろいろ牛耳ろうと部下にプレッシャーをかけてしまったんだろう。こういう自己顕示欲は、心理学的には劣等感の裏返しなんだよね。自己顕示欲を緩和するようなカウンセリングが出井さんには必要だったんだと思うよ。
「ネットは恐竜を滅ぼした隕石だ」
土井:出井さんも焦っていたんだろう。外部のコンサルをたくさん使って、彼らの言う通りにソニーを変えようとした。あらゆるソニーの既存ビジネスをネットワーク対応型にしようと試みた。そこで、いくつかのカンパニーに、「ネットワーク」という名称を付けて檄を飛ばし続けていた。「ネットは恐竜を滅ぼした隕石だ」とか「このままだとソニーはつぶれる」とか言っていた時代の頃だよ。
 世の中的には、その頃はまだ出井さんに脚光が当たっていたから、キャッチーなことを言って注目を浴びていたものの、一向に成果が出ないから格好が悪い。そして出井さんもだんだん焦ってきた。
 急激にソニーの組織を変えようとしてはみたけれど、取り巻きの三流エンジニア以外の優秀な現場のエンジニアはついてこない。一生懸命やればやるほど、現場のプレッシャーは増して、うつ病の社員も増えていく。会社を支える現場の人材がそうなっちゃっているから有望なビジネスは一つも立ち上がらない。そしてまた、現場の幹部やエンジニアが経営トップから罵倒されるというサイクルが続いた。
 こうして、ソニーのフロー経営は破壊されていったんだ。
 そこから2年後、ソニーショックへ突入していった。外から見たら調子良く見えたソニーがおかしくなっていて、ついにその症状が外部に出た。それが2003年4月のソニーショックだよ。理想と現実のかい離が、具体的な業績悪化という数字となって健在化した。
 ソニーショックの後、「ソニー神話が崩壊した」とマスコミに騒がれた。だけどソニーの崩壊はその時すぐに起こったわけじゃないんだ。何年もかけて、徐々に徐々に、ゆっくりと崩壊が進行していたんだよ。
 これがソニーショック前夜の話。ソニー内部の現場にいた人間の、偽らざる実感だよ。

2016-09-10 12:27