【2】重要免震棟へ
3月12日未明。
シャワーを浴び、着替えを持って直ちに官邸へ戻る。福島第一原発の現地入りが決行された場合に備え、防災服に着替える。今思うと極めて無意味な格好。防災服とは、単なる作業着だ。行政の人間は、災害や震災があると反射的に防災服に着替える。今回も現地に入るということで全員防災服に着替えた。しかし、向かうのは原発の事故現場。いまなら当然、全身を覆うタイベックスーツにマスクだろう。でも、そのような用意はない。指導もない。発想すら、ない。
福山副長官が総理のもとへ。地下の危機管理センターに至急来て欲しいと総理を迎えにきた。現地入りの予定時間が迫っていた事もあり、同行する秘書官らと共に危機管理センターへ降りる。向かう途中、福山副長官が総理に現状を報告。主に2点。
「福島第一原発敷地内の線量が急上昇している」「予定しているベントが何故か行われない」
まず、線量が急上昇している事に心が構えた。私たちが今から行く場所の線量が急上昇している。具体的数字も、影響もわからないが怖かった。「そこに、行くのか・・・」と弱気になったが、私が判断する事ではないので、余り考えないようにした。
そして、「ベント」が行われない件。正直なところ、私はその当時ベントを詳しく知らなかった。官邸内でベントの実行を決めていた会議のころ、私は現地入りの準備をしていた。
以下参考
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原発の構造を簡単に説明すると、核物質は、とても頑丈な「筒」に入れられている。その筒を、これまたとても頑丈な「フラスコ」で守る。そのフラスコの外側を、もっと大きな四角の「箱」で覆う。
筒を「圧力容器」、フラスコを「格納容器」、箱を「建屋」と呼ぶ。「ベント」とは、筒(圧力容器)の中が水蒸気等でパンパンになった際に、逃がし弁を開けて水蒸気等を外に放出し、圧力容器内の圧力を下げ、筒の爆発を回避する行為だ。もちろん、逃がす水蒸気は核物質と同居していたものなので、放射能物質が外に放出される大変深刻な行為。それでも、筒自体が爆発して核物質が飛び散っていくよりは、被害が少ない。
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以上
危機管理センターに降りる道中、福山副長官が血相を変えて「ベントが、まだ出来ていないんです」と総理に伝える。その様子を聞いていた岡本秘書官が「ベントするの??!!」と困惑。それで初めて、私も深刻さが増していることに気付く。
危機管理センター会議室到着。もともと狭い部屋なので最小限のメンバーのみ入室。一瞬中に入っていたが、出発準備の打ち合わせもあるだろうから、部屋を出て秘書官らと会議室前の螺旋階段に連なって待機。中では「何故ベントが出来ないのか」「圧力容器が爆発した場合を想定し、避難区域を拡大すべきか」等、非常に重要な議論していた。総理が危機管理センターに降りたのが午前5時過ぎ。
現地入りの官邸出発予定時刻は午前6時。予定通りに出発出来るように、既に官邸屋上にヘリが待機し暖機運転を開始していた。
秘書官に「出発は、最大何時まで遅らせられる?」と問う。「ヘリの都合上、十数分で限界」との答え。時刻は予定時間の午前6時に迫っていた。総理に判断を仰ぐため会議室に入室。「現地入りの最終判断を。出発は遅らせて十数分」。
総理から「どうすればいい?」と問い。
(どうすれば、って・・・)と内心戸惑う。「報道が待ち構えている中で急遽現地入りを中止すれば、『急遽中止する程、事態は深刻なのか??』と、強い疑念を持つと想います。十分な説明が必要になるでしょう。中止した場合の影響は以上の通り。ただ、全ては現地に行く必要があるかどうかでご判断を」。
会議室のなかでは「ベントが予定通り実行されない事」への焦燥感と、自らベントの実施を発表しながら、いまだ実行が伴わない東電への不信感が強かった様子。それらを払拭する意味合いが強く、「現地に行く」と総理が判断。
私だけ直ちに部屋を出て秘書官らに「現地入り決行」と伝える。「やっぱり行くんだ・・・・」と気持ちが重い。出発予定時間の6時を過ぎても会議終わらず。再度入室し、時刻を知らせる。会議室から総理が退出し一行と共に危機管理センターを歩いていると、総理が「あ、長官は?」と振返る。同じく会議室から出てきた長官を招き、「万が一連絡が取れなくなった場合は種々の判断は長官に任せる」と、立ったまま一言。
長官「わかりました」。長官から訪ねたのか記憶が曖昧。いずれ万が一の場合の総理代行者が決まる。総理が、玄関ホールで記者団にコメントを発表している際、記者クラブ側からハンディカメラを受け取る。下村審議官に渡す。
屋上に向かい、ヘリに乗り込む。スーパーピューマに乗るのは二度目。皮肉な事に、半年前に静岡で行われた全国防災訓練に向かう時以来。前回は訓練。今回は震災。機内は狭い。ただ、貴賓用ヘリだけあって内装はしっかりしている。総理と班目原子力安全委員会委員長が隣同士で座る。私と岡本秘書官がその向かい。機内はうるさい。耳元で大声で叫んでようやく聞こえる程度。
官邸発。隣にそびえる議員会館スレスレに上昇、一路福島原発へ。
ここで班目原子力安全委員会委員長のことを少々。
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班目委員長とお会いしたのは事故発生当日夜が最初だと思う。原子力安全委員会は、原発事故が発生した場合、政府に対するアドバイザー機関となる。そのトップが班目委員長。原発事故発生当日の夜、総理と共に班目委員長のレクチャーを受けた。福島第一原発の見取り図をもとに、構造の説明を受けた。私が記憶している会話は以下。
総理「原発が爆発する可能性はないのか」。班目委員長「ありません」。総理がしつこく問う。「本当にないのか」。
班目委員長「ありません」。総理「水素は存在しないのか」。班目委員長「存在しません」。総理がしつこく問う。「本当にどこにも無いのか」。
班目委員長「ありません。あ、でも、建屋脇の方の・・・・」。
総理「存在するじゃないか!爆発するかもしれないのか??」。以上のやり取り。
総理が水素の存在をしつこく聞いていたのが印象的だった。いずれにせよ、班目委員長からは「爆発はしない」との意見があったが、何とも頼りない論拠に感じた。
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ヘリが福島原発にむけて飛行する。機内では、総理と班目委員長が何やら話している。機内がうるさくて内容は聞こえない。ずっと窓の下を眺める。ひたすら海岸線を飛行。北上するにつれ徐々に津波の影響を目視できる。
津波発生から、最初に迎えた朝の様子は信じがたい光景だった。目を凝らしたら何かが見えるのじゃないかと、身がすくむ。もしかしたら救助を待つ人が、または、既に亡くなった方が水面に浮かんでいるのではないか、そう思うと身体が強ばった。地図は無いから、どこを飛んでいるのかはわからない。ただ北上するに連れて、海岸付近の様子はどんどん悪化する。
海岸線沿いに発電所のようなものが見えた。あれが福島第一原発か?そう思うと通り過ぎる。何度目かの時、ヘリの機体が旋回する。グランドのようなところが見える。そこに向け、降下を始めた。徐々に地上の様子がはっきりしてくる。
白い布で全身を覆い、ガスマスクを装着した人が立っている。私が初めて見たタイベックスーツ。「え?そんな環境なのか??我々はマスク一つしてないのに」。戸惑った。ただ、そのタイベックススーツを装着した人の隣に、我々と同じような作業着姿の人が二人いた。
着陸。下村審議官が記者クラブから渡されたハンディカメラを構える。私は帽子を被った。ヘリのドアが開き、地上へ。白いタイベックスーツにガスマスク姿の誘導員に導かれ、奥にあるマイクロバスに向かう。マスクをしていないので、息を吸っていいのかわからなかった。急いでマイクロバスに乗り込んだ。天候は曇り。
バスには、総理が1列目、次に班目委員長、私は3列目に乗車。重要免震棟に向けバスは発車。隣は警護担当の桝田秘書官。桝田秘書官が衛星携帯電話を取り出し官邸へ到着の報告を試みる。
「あれ、なんでだろう」。
何故か、衛星携帯電話が使用出来ない。桝田秘書官が焦っている。一般的に何処でも使えるのが衛星携帯電話の強みのはずだが何故か使えない。当然、手持ちの携帯電話は圏外。一番前に座っている総理から怒鳴り声。
「なんでベントできないんだ!」。
隣は東京電力武藤副社長。武藤副社長の声が小さく、答えが聞こえない。総理の怒鳴り声が幾度も響く。桝田秘書官は再度衛星携帯電話を試みるが、またも失敗。同行している共同通信津村記者も記者クラブ宛に到着報告が出来ないようで焦り。「衛星携帯、終わったら借りられないですか?」と頼まれるも「そもそも使えないんだよ、なぜか」と返答。しばらく走ると、多くの自家用車が置かれた駐車場。
そして、重要免震棟の前に到着。バスを降りて入り口のドアに向かう。「早く入れ!!!」と係員からの怒鳴り声。入り口は二重ドア。外に面したドアを閉めないと、内部と通じるドアは開かない。「早く入れ!!」再度怒鳴られる。外側のドアが閉じ、内部に通じる自動ドアが開いた。既に総理が総理として扱われていない。
重要免震棟入り口付近には人で溢れていた。肩と肩がぶつかる程の混雑。二重ドアを閉める為、背後から押されるように人混みの中へ。誰が自分たちを誘導しているのか全くわからず、総理一行は混雑する人に紛れてバラバラに。人混みの中の小さな流れを見つけ、それに任せて前に進む。
奥には二列の行列。左の列に総理が並んでいた。右をみると、上半身裸の男性が、汗だくで床に寝そべっていた。息は荒い。列の先頭では、係員が機器を使って入場者の放射能を計っている。「おい、ここらへん高いぞ!」と私の近くで係員が叫ぶ。
いよいよ次が私、というところで、左にいた総理が「なんでこんなことしなくちゃいけないんだ」と列を離脱、誰かに誘導されて階段に向かう。急いで私も後を追う。
階段に到達するも、そこも人だらけ。階段の壁には、びっしり人が立っていた。休むところがなく、壁にもたれて休んでいる様子。一様に目が疲れている。目の前に総理大臣がいることを気付くものは殆どいない。気付いても目で追う程度。急いで階段を駆け上がるが人混みで総理を見失う。二階にあがり、誰かの導きで会議室に到着したら総理と津村記者の二人だけがいた。
総理「おい、なんで記者がここにいるんだ!」と怒声。津村記者を退出させる。会議室は殺風景だった。机と椅子、それ以外の記憶はない。ほどなく、東電武藤副社長と、福島第一原発の吉田所長(故人)が入室。武藤、吉田両名の向かいに、総理、班目委員長、寺田。席上にA4の説明資料。武藤副社長が説明。今までの説明と同じような一般的な情報を述べ続けていた。
総理が怒鳴る。「いいから、なんでベントができないんだ!」答えたのは吉田所長だったと思う。「現在、電動でベントすることを試みています」。総理「いつになったら出来るんだ!」吉田「4時間を予定してます」。総理「昨晩から、やるやると言っていつまでたっても出来ないじゃないか!」。4時間とは長過ぎる、と私は思った。私はずぶの素人であったが、今までの説明で既に原発の圧力容器内の圧力が設計された限界圧力を遥かに超えている事は知らされていた。ここ重要免震棟の目の前にある原発はいますぐ爆発してもおかしくない、ということだ。
ここら辺まで、総理の口調は怒鳴りに近かった。怒鳴りに近かったが、求めているものは何となく分った。それは、「電動ベント」ではなく人間による「手動のベント」はやらないのか?ということ。遠隔地で行う電動よりも手動は、人間が原発内部に直接入って作業するため非常に危険な行為。総理の口から手動についての言及がある前に、吉田所長から、「手動ベントも考えています。実行するかどうか、1時間後には決めます」。
総理も、ここらへんから口調が変わった。流石に人命に関わることゆえ、総理の心に動揺が見えた。1時間後に「実行する」のではなく、「実行するかどうか決める」ってことは、まだ未定か、と、私は思った。
総理も、「そんな悠長なことじゃなくて、すぐやれないのか」と問う。
吉田所長「内部の放射線量が非常に高いのです」。そして続けた、「決死隊作ってでもやりますから」。
fukushima protective suit
以下、余談
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一連の会話を振返ると、総理は手動ベントを要求したのか、それとも、既に考えていた事を引き出したのか、私にはわからない。総理が重要免震棟まで出向き、現地の責任者と言葉を交わした事による、事故への効果もわからない。
ただ、事故発生の昨晩から通じて、初めて東電側から強い言葉を聞いた。今でも考える。総理が直接、「手動ベント」を命令すべきだったのか。(実際のところ、経産大臣が法令に基づき命令しているのだが)「政治が責任をもつから手動でやれ」と、その場で言うべきだったのか。言ったらもっと早く出来たのか。
民間企業がコントロールする原発の緊急対応を、国が指導することの難しさ。それを重々理解していたからこそ、吉田所長から先に「手動ベント」に言及してもらった事に、私も総理も安堵感はあったと思う。だけど私は、政治側から言い出さなかったことに、今でも後ろめたさを感じている。
故・吉田所長について
吉田所長に直接お会いしたのはこの時一度だけ。以後は、電話での会話を間接的に聞いたのみ。吉田所長は「どうすれば出来るか」を語る方だった。それまで、電源車の手配や、まさしくベントについても、東電幹部から発せられるのは、曖昧な「出来ない理由」ばかりだったが、その中において、吉田所長は「どうすれば出来るのか」を語る幹部だった。
「決死隊作ってでもやります」。言葉にすると、短いこの一文。そこに込められる迫力というものは、その場にいた者しか解らないかもしれない。いや、本当の意味では、私も総理もわからないだろう。先ほど階下ですれ違った作業員、階段でもたれかかってる作業員ら全ての、生活も、家族も背負った決断になる。
吉田所長は、部下を気遣いながら、常に前を向いて命をかけて陣頭指揮にあたられていた。間違いなく第一の吉田所長と、第二の増田所長のお二人がいなかったら今の日本はないと思う。再度お会いしたかった。
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以上
その後も、総理と東電側とのやり取りは続いていた。
肩をトントンと叩かれた。振返ると桝田秘書官。「医務官が、ここは線量が高いので、長居しない方が良い、と」。了解の意味で頷く。しかし、総理に進言しようにも、話の合間がない程のめり込んでいる。再び桝田秘書官から忠告。そんなに線量が高いのか?と戸惑う。まだ滞在20分程。
「総理、そろそろお時間です」。なんとか終える。吉田所長は即座に退室。保安院の人間が総理に署名を求める。「ここにサインすればいいのか?」と署名。(内容を私は見ていない。福島第二原発に関することのよう)会議室をでた廊下で、池田経産副大臣に呼び止められる。
「寺田、総理をもっと落ち着かせろ」。
「いつもよりはマシですよ」と答える。でも、本当は、いつもよりマシではなかった。普段、周辺からは「寺田は総理の緩衝役」と言われていたが、この時は役に立たなかった。重要免震棟を出てマイクロバスに乗り込む。東電武藤副社長と池田経産副大臣も同乗。行きと同様、総理が武藤副社長に問う。ただ、声のトーンは随分落ち着いている。
「さっきの件は、ちゃんと報告しろよ」。
以後の具体的なやり取りは覚えていないが、総理は、手動ベントの実行と報告を武藤副社長に話していたと思う。声のトーンは落ち着いていたが、声は大きかった。急いで後ろを振返り、同行している津村記者に話す。
「メモしてんの?」「かなりデリケートな内容だからな」。
津村「デリケートかどうかわからないので、メモはします」。
ヘリが駐機しているグラウンドに到着。早速ヘリに乗り込んだが、中々プロペラが回らない。予定より大幅に早くヘリに戻った為に暖機運転ができていなかった。
後で聞いた話だが、当初の予定では、マイクロバスで原発本体周辺を視察することになっていた。数時間後に爆発する原発本体の周りを、だ。誰の意思で中止したのかわからない。外には武藤副社長と池田副大臣。機内から窓を通じて「もうお戻りください」と身振り手振り。しかし伝わらず、待たせてしまう。
総理に「池田副大臣がお待ちになってますよ」と話すと、「え?」と驚く素振り。今まで池田副大臣が同行していた事すらも、気付いていなかった様子。しばらくして、ようやく飛行。ヘリが海岸線に出るべく原発本体上空を飛ぶ。最も原発本体に近づいた時だった。総理の胸ポケットに付けられていた機械が、ピーピー鳴った。
「なんだ、こりゃ?」と戸惑う総理。
私が受け取り、電源らしいスイッチを押してみる。放射能の線量計。いまでこそ見覚えのあるものだが、事故発生から半日程度のその時は、見方も使い方も、わからない。下村審議官が、保安院から総理と自身用に借りてきたものらしい。どれ程の放射線量が計測されたか、わからない。ピーピー鳴ったのは、線量が幾らに達したからかもわからない。
唯一わかっていることは、その瞬間に強い放射能を浴びていた、ということだけだ。爆発する、数時間前の原発1号機上空だったからか。それでも、私達は動じる事はなかった。何も知らないのだ。そして、ベントのことで頭が一杯で、自分たちが被爆することリスクをその時はすっかり忘れていたと思う。
自衛隊の方々が気を使ってくれ、朝食として「にぎり飯」と、「パックのお茶」を出してくれた。真っ白で美味しそうな、おにぎり。食べたかったが、もし飛行中にトイレに行きたくなったら大変と、控えた。総理らは、手づかみで食べていた。今思えば、私達は原発の事故現場に居たにもかかわらず、除染はおろか、手すら洗っていない。
2016-09-10 03:24