“ 幼稚園のころ、わたしは加藤さんという女の子にいじめられていた。毎日は暗黒だった。就学前のわたしの人生を彩る楽曲として、「禿山の一夜」ほどぴったり来る曲はない。
加藤さんという女の子はきつい顔をしていて、たくさんの子分を従えていた。なぜあんなに力を持っていたのか今も不思議だが、ものの言い方や態度に迫力があったことは確かだ。二年前、尼崎で角田美代子という女が自ら擬似家族を作り、よその家族を支配して家族同士殺し合いをさせるという事件をおこした。わたしはこの事件が気になって仕方なかったが、事件の気味悪さに、「これは知ってる」という感触があった。根っこをたどっていくと幼稚園時代に行きあたる。どうも角田というおばさんと加藤さんの四角い顔が、わたしのなかで重なるのだ。
わたしは加藤グループの最下層にいた。トイレにはいつもみんなで行く。わたしの順番は最後であり、出てきたときにはもう誰もいない。置き去りにされた空漠感は面白いことに今でも残っている。グループを抜けようとか、幼稚園をやめようとか、そういうことは一切思わない。それがわたしの世界の枠組みになっていて、逃げるとか離脱するとか、果ては戦うという解決方法があるのに、そんなことを思いつきもしないのだ。そもそも、いじめられているということを誰にも話さない。子供というのは、それくらい自分のなかにとじこめられている。
今でもどうしたらいいのかわからない。わたしのようにいじめられている子がいるとして、外側にはもっと広い世界が広がっていることをどうやって知らせてやったらいいのか。
黒松先生は、わたしが苦しんでいるとき、なんら具体的に助けてはくれなかったが、わたしが苦しんでいるのを知っていたような気がする。知っていたが何もしなくて(できなくて)、いつもわたしには優しかった。「禿山の一夜」を本当の意味でわかちあっていたのは、わたしと先生であったかもしれない。
加藤さんとわたしは、その後、近所の同じ小学校へあがった。小学校でも同じ階級がずっと続くのだろうか。そう思って暗澹たる気持ちになったわたしは、それがまったくの杞憂だったことをやがて知ることになる。
小学生になると加藤さんはしぼんだシャボン玉のように急速に権力を失った。その理由は今でもよくわからない。わたしは相変わらず何も表現しない子供だったが、そのことだけでいじめられることはなくなった。わたしは自分の無口や孤独を無意識のうちに磨いていたと思う。武器である拳銃を磨くように。”
— 白水社 :連載・エッセイ 小池昌代「詩と幼年 水の町の物語」 第3回 詩に出会ったころ(3)子分