"曽野綾子のコラム問題
本当に自分で思っているそのままを率直に書いた結果があのコラムになったのだと思っている。
また、外国人労働者の扱いに関して彼女と同じような考えを抱いている日本人が、5割かそこらはいるのではないかとも思っている。
あのコラムの問題点は、曽野綾子という一小説家が外国人忌避の感情をうっかり外に漏らしてしまったことそのものにあるわけではない。そんなコラムを書いてしまうような人間が、日本財団の会長や教育再生実行会議の委員などを務め、新聞コラムの書き手として重きを成しているわが国の国柄が、あのコラムの中に露呈してしまっていたわけで、それが私にはどうにも悲しかったのである。
あのコラムはたしかにひどいコラムだったが、それでもなおコラムはコラムにすぎない。コラムの意味するところは、われわれ自身があそこに書いてある通りのひどいことを考えている国民であるということでもある。その意味では、よく出来たコラムだと言うことさえ可能だ。"
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右翼というものは、どこの国の右翼でも、大同小異で、
「右翼的価値観」というパッケージを共有しているようだ
それが不思議だ
もっといろいろな価値選択があって当然ではないだろうか
しかしそうではなく、実際は多様な問題に関して同じようなメニューを選んでしまう
ということは、個別問題についてはほとんど何も考えず、
ただ脊髄反射のように反応しているだけなのだろうと推定できる
問題は、そのような群れがどうして全体を支配するに至るのかということだ
ピケティのように歴史を通して調査すれば
右翼側の勝率が圧倒的に高いだろう
自分たちが一番だ、戦争でやっつけろ、なんて威勢良く言えば、平和を支持する反対勢力は分が悪い
素朴な心情なのだろう