採録
ーーー
日常生活の中でちょっとしたことなどで不安を感じることは、特に病気というわけではなく、人間らしい健全な心の動きです。しかし不安が募り、あるいは長期化して、動悸、不眠、集中力の低下、息切れ、胸苦しい、焦燥感などの症候が生じるようであれば、不安を和らげて体調を改善したいものです。
不安を感じることはあっても、それが体調の悪化に影響しないようにするために、漢方薬で体質改善を進めます。
漢方では、不安感は五臓の心(しん)の機能不調が大きく影響していると考えます。心は五臓の一つであり、心臓を含めた血液循環(血脈)をつかさどるだけでなく、人間の意識や思惟など、高次の精神活動(神志 [しんし])をもつかさどる臓腑です。
この心の機能が弱ったり、十分潤わされなかったり、余分な熱を帯びたりすると、神志が不安定になり、不安感が生じます。精神情緒をつかさどる五臓の肝(かん)の機能が乱れて不安感が強くなる場合もあります。
不安感の証(しょう)には、以下のようなものがあります。
一つ目は「心気虚(しんききょ)」証です。血脈や神志をつかさどる心の機能(心気)が低下している体質です。心気の不足により、不安感が生じます。疲れやすく、動悸、息切れなどの症状もみられます。ベースとなる気力や体力が弱いので、普通の人なら気にならないことでも気になってしまうところがあります。この場合は、心気を漢方薬で補うことで心の機能を強化し、不安感を解消していきます。
二つ目は「心血虚(しんけっきょ)」証です。心の機能を養う心血が不足している体質です。過度の心労や、思い悩み過ぎ、過労が続くことにより心に負担がかかり、心血が消耗してこの証になります。心血の不足により神志が不安定になり、不安感が高まります。どきどきしやすく、驚きやすいようなところがあります。漢方薬で心血を潤して不安感を軽くしていきます。
三つ目は「心陰虚(しんいんきょ)」証です。心の陰液が不足している体質ですので、心が十分潤わされず、不安感が生じています。些細なことにでも不安を感じます。漢方薬で心の陰液を補い、神志を安定させて不安を解消させていきます。
四つ目は「心火(しんか)」証です。神志をつかさどる心が過度の刺激を受けて亢進し、熱を帯びて心火となり、不安感が引き起こされている状態です。じっとしていられず、あせりを感じ、不安で落ち着きません。悶々として目がさえて眠れません。心火を冷ます漢方薬で不安を鎮めます。
以上の四つが、五臓の心の不調に関連して不安感が高まっている証の例です。ほかにも以下のような証があります。
五つ目は「肝鬱気滞(かんうつきたい)」証です。五臓の肝(かん)は、身体の諸機能を調節する臓腑です。自律神経系や情緒の安定、気血の流れと関係が深く、ストレスや緊張で機能が乱れ、この証になります。気の流れが悪くなることにより、小さな刺激に対しても敏感になっており、不安感が高まります。肝の機能(肝気)の鬱結を和らげて、ストレス抵抗性を高める漢方薬で過度の不安を治していきます。
六つ目は「肝火(かんか)」証です。強いストレスや激しい感情の起伏などで肝気が失調すると、肝気の流れが鬱滞して熱を帯び、この証になります。不安感のほかに、不眠、いらいら、怒りっぽい、ヒステリーなどの症状がみられます。肝気の流れをよくして肝火を鎮める漢方薬を使います。
心火と肝火は、不安の種が強くのしかかってきたときや、いくつかの不安の種が積み重なって大きくなったときにみられやすい証です。それ以外の心気虚や心血虚などの証は、ちょっとした小さなことに対してもすぐに不安を感じてしまう、慢性的に不安にさいなまれやすいタイプの証です。
■症例1
「最近ちょっとしたトラブルがあり、不安で仕方ありません。気持ちが落ち着かず、夜も目がさえて眠れません」
仕事の関係で、ちょっとしたことがありました。人間関係も少しぎくしゃくしており、今後の業績や異動とも関係しそうで、不安です。平常心で落ち着いて事に当たればいいのは分かっているのですが落ち着かず、あせってしまいます。じっとしていられず、居ても立っても居られない感じです。布団に入っても悶々として、目がさえてしまいます。ようやく眠りについても職場でのリアルな夢をみて、またすぐに目が覚めてしまいます。動悸や、胸苦しい感じがあります。舌は紅色をしています。
この人の証は「心火」です。神志をつかさどる心が過度の刺激を受けて高ぶり、熱を帯びて心火となり、不安感が引き起こされている状態です。心火は上半身で暴れ回り、心がつかさどる情志をかき乱し、不安感を引き起こします。じっとしていられない焦燥感、あせり、不眠、動悸、胸苦しさ、舌が紅色、などはこの証の特徴です。
この証の人に対しては、心火を冷ます漢方薬を使います。代表的な処方は三黄瀉心湯(さんおうしゃしんとう)や黄連解毒湯(おうれんげどくとう)です。上半身の火熱を緩解する働きがあります。この人は1カ月ほど黄連解毒湯を服用し、不安感を解消しました。
心火証が長引くと、気と陰液を消耗します。その場合は気陰を補いつつ熱を冷ます清心蓮子飲(せいしんれんしいん)が有効です。陰液とは、人体に必要な水液のことです。
いらいら、怒りっぽい、など「肝火」証の症状も同時にみられるようなら、「心肝火旺」証です。肝火には竜胆瀉肝湯(りゅうたんしゃかんとう)、心肝火旺には柴胡加竜骨牡蛎湯(さいこかりゅうこつぼれいとう)などを使います。
不眠、動悸など「心血虚」の症候もあれば、酸棗仁湯(さんそうにんとう)を用います。ふらつき、口渇など「陰虚」の症候があれば、黄連阿膠湯(おうれんあきょうとう)を使います。
ちょっとした小さなことに対してもすぐに不安を感じてしまう、慢性的に不安にさいなまれやすい人もいます。そういうときは、どのような漢方処方を使うのでしょうか。
■症例2
「不安感が強く、動悸が気になります。臆病でびくびくしやすいタイプです」
社会人になってからずっと仕事が忙しく、常に疲れが溜まっています。夜は、よく夢を見て、熟睡している気がしません。朝は早めに目が覚めます。ときどき、めまいや立ちくらみがあります。舌は白っぽい色をしています。
この人の証は「心血虚(しんけっきょ)」です。心臓を含めた血液循環(血脈)や意識や思惟など高次の精神活動(神志[しんし])をつかさどる心の機能を養う心血が不足している体質です。過度の心労や、思い悩み過ぎ、過労が続くことにより心に負担がかかり、心血が消耗してこの証になります。心血の不足により神志が不安定になり、不安感が高まります。この人も社会人になって疲れが溜まり、心血虚証になったようです。どきどきしやすく、驚きやすいところがあります。
この体質の場合は、心血を潤す漢方薬で不安感を軽くしていきます。代表的な処方には帰脾湯(きひとう)や人参養栄湯(にんじんようえいとう)があります。この人は帰脾湯を8カ月間服用し、不安感から解放されました。
ヒステリーや悲哀感を伴う場合は、甘麦大棗湯(かんばくたいそうとう)を使います。いらいら、のぼせなどの熱証があれば、心血虚に「肝火」証が乗じている状態です。こういう場合は加味帰脾湯(かみきひとう)を使います。
心血虚が長期化して「心陰虚(しんいんきょ)」証になる場合もあります。心の陰液が不足している体質です。心が十分潤わされず、些細なことにでも不安を感じます。心の陰液を補う漢方薬を合方するなどして、神志を安定させて不安を解消させていきます。
■症例3
「疲れやすく、将来のことや些細なことが心配で不安になります。考え始めると、動悸が生じます」
動悸の他に息切れや冷や汗も生じます。舌は白っぽい色をしています。
この人の証は「心気虚(しんききょ)」です。血脈や神志をつかさどる心の機能(心気)が不足している体質です。心気の不足により、不安感が生じます。疲れやすい、動悸、息切れなどは、この証の特徴です。気力や体力が弱いので、普通の人なら気にならないことでも気になってしまうところがあります。
この体質の人に対しては、心気を補う漢方薬を使って心の機能を強化し、不安感を解消していきます。処方には四君子湯(しくんしとう)や炙甘草湯(しゃかんぞうとう)があります。この人の場合は、炙甘草湯を使い、半年ほどかけて不安感を解消していきました。
眠りにくい、夢をよく見る、などの症状があれば、桂枝加竜骨牡蛎湯(けいしかりゅうこつぼれいとう)がいいでしょう。
***
以上の症例の他に、「肝鬱気滞(かんうつきたい)」証もよくみかけます。肝(かん)は五臓の一つで、身体の諸機能を調節する臓腑です。自律神経系や情緒の安定、気血の流れと関係が深く、ストレスや緊張で機能が乱れると、この証になります。気の流れが悪くなることにより、小さな刺激に対しても敏感になっており、不安感が高まります。
この証の場合は、肝気の鬱結を和らげて、ストレス抵抗性を高める四逆散(しぎゃくさん)などの漢方薬で、過度の不安感を治していきます。いらいら、のぼせなどの熱証があれば、加味逍遙散(かみしょうようさん)がいいでしょう。疲れやすい、食欲不振などの症候があれば、小柴胡湯(しょうさいことう)を使います。
2015-03-10 23:53