たとえば現代の騒乱を精神分析するに当たり
騒乱を起こしていると表面上見られている人たちの精神分析が必要なのは
仕事の半分で
騒乱は迷惑だ、鎮圧しなければならないのが当然だと言っている人たちの精神分析が
仕事の半分になるだろう
そしてその仕事は二つではなくて一つなのかもしれない
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幕末から明治にかけての精神分析を考えるとき
精神医学は、自分の座標軸を決めて、その上に、幕末、明治、そして現在を
正確に位置づけられるだろうか
現在のNHKの代表者みたいに政府の立場を否定できるわけがないなどというのは論外であるが
では、どんな独自の立場があるものか、難しいところがある
自分も、自分の引いた座標軸のどこかに位置するしかないものか、
それとも、方法論的にそれを乗り越えることが可能なのか
精神医学としての根本的な課題である