“ 本書の最終章を仕上げつつ、とりわけ橋下徹の分析を通じて痛感したことは、ヤンキー文化が実質的に、日本社会における反社会性の解毒装置として機能している、という事実についてだった。
わが国においては、思春期に芽生えかけた反社会性のほとんどは、ヤンキー文化に吸収される。不良が徒党を組むさいに求心力を持つのは、「ガチで気合の入った」「ハンパなく筋を通す」「喧嘩上等」といった価値規範なのだ。しかしこれが疑似倫理的な美学であり、丸山眞男の言うところの空虚な「いきほひ」の変形でしかないことは、本書で十分に検証してきた。
こうした美学は、特攻服やよさこいソーランのような様式性をへて、フェイクの伝統主義=ナショナリズムに帰着する。つまり、青少年の反社会性は、芽生えた瞬間にヤンキー文化に回収され、一定の様式化を経て、絆と仲間と「伝統」を大切にする保守として成熟してゆくのである。われわれは、まったく無自覚なうちに、かくも巧妙な治安システムを手にしていたのである。”