2014年12月現在の状況が
日中戦争から日米戦争の15年戦争に向かう頃とよく似ていて
大変心配だという声を年配の方からよくいただく
危険は見えているのに
個人としては何もできない
この感覚が同じだという
流されてしまう感覚
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日米戦争では本土決戦はなかったが沖縄戦は行われた
未来の戦争では
日本軍沖縄部隊と
中国軍チベット部とが殺し合いをしたりするのだろうか
分かっているのにとめられない恐怖
これを共有する国民は多いと思う
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少子高齢化という構造も関係していると思う
高齢者は戦争には行かないわけだから
通常兵器の局地戦で領土領海を守れとか思っているのではないだろうか
ルールの範囲内での戦争というわけだ
しかし核兵器保有、化学兵器保有の超大国となった中国が
戦争で負けるという事態を受け入れるはずはなく
特に積年の恨みの積もった日本相手にということになれば
中国国内の世論は抑えきれないのではないか
日米戦争でもそうであったように
日本に敗戦を自覚させるには核兵器しかないだろうと考えて
日本に3発目の核兵器が投下される未来はゼロではないだろう
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戦争前夜
それらの日々も人々は酒を飲んで歌を歌っていた
人々は子どもと遊んでクリスマス・プレゼントを渡していた
サンタさんを信じる子供でいてほしいなどと願いながら
子供にサンタを信じさせる親でいたいと願いながら
買い物をして正月のおせちを食べていた
テレビはすでにマイルドな大本営発表放送になっていたが
大部分の時間は気散じの笑いが占めていた
本気の、批判的ジャーナリズムは、言論によらず、権力により封殺されていたのだが、
人々には、『何が消えたのか』ははっきりとは意識されなかった
自然な形で、ある種の人々がジャーナリズムから消えていった
引き返せないとひしひしと感じていたが
何をすればいいのかは個人には分からず
流されるばかりだった
ジャーナリズムは権力をチェックするものではなく権力の宣伝機関になったが
当面は誰も困らなかった
朝日新聞社の件では元記者の働く大学への脅迫状事件などもあり嫌な感じではあったが
これもマイルドに切り抜けてマイルドに忘れるようだった
政治家は原発でも経済でも嘘を繰り返したが
そのことを誰も強くは責めなかった
ただ諦めて眺めていた
科学者は社会的責任や良心を問われるのは心外だというようすだった
原発関係では原子力規制委員会の田中俊一委員長の
私は安全だとは言っていない、安全を保証するのではない、
国が作った基準に適合していると判断されると言っているだけだとの発言を聞き
国民はただ失望するばかりだった
SATP細胞騒動について理研がまとめた報告は
何かの事情によってES細胞が入っていた、STAPとされたものはES細胞であった
という内容で、それ以上は下々は何も知る必要はないといったようすだった
明らかに組織上層部とその組織に予算を配分する権力側が
隠蔽側に回っていることを見せつけられて
国民はこれで行き止まりなのかと失望するばかりであった
マスコミやネットを総動員しての右傾化は巨大な勢いで進行している
抵抗運動として国会前や首相官邸前のデモは一時的に実施されたものの
実効力のある政治運動ではなかったことが分かった
隣国との付き合いには軍隊を増強させ、スパイを使い、またスパイを監視し、
戦争平気を製造し販売し、集団的自衛権で敵を拡大解釈し、
そのようなことのために我々の子供や孫やひ孫を愛国教育し愛国軍人にしてもいいと
意思表示したことは一度もなかったように思うのだが
平和を守るためにどんどん守りを固めましょうと、反対できないような言葉を繰り返され
じりじりと平和勢力は根絶やしにされていった
戦争を経験した人々が死に絶えていなくなる頃、
愛国という言葉とともに登場する人々がいるのだと
歴史は教えている
振り子が大きく振れている