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全力を尽くすこと。
一丸となること。
歩調を合わせること。
声を出すこと。
休まないこと。
これらの原則は、ひとつひとつは、野球技術の向上にとって大切なものだし、どれひとつとして非人間的な教条ではない。
が、甲子園を甲子園たらしめているそれらの原則を徹底させると、その原則の中にいるチームは、ブラック企業とよく似た組織になってしまう。
個々が「全体」の部品に徹すること。
私心を捨てること。
わがままを言わないこと。
でもって、そうした「滅私奉公」は、「美談」として称揚され、さらに、個々の脱落は、個人的な脱落ではなく、「全体」への裏切りとして処罰されるようになる。
まるっきりのブラック体制だ。
もし仮に、365日練習を続行している甲子園強豪校の練習スタイルをプロ野球の球団が取り入れたとしたら、その球団は、労働基準法違反で真っ先に摘発されることになるはずだ。
球団でなくても、もし企業が、365日無休の献身と向上をそのメンバーに要求したら、間違いなく労働基準監督局の立ち入り調査を受けねばならないだろう。
皮肉なことに、高校生にとっての野球が「仕事」でなく、「利益」を産まない「アマチュア」の「娯楽」ないしは「教育」の一環と見なされていることが、彼らのチームをブラック企業批判から免れさせているわけで、多くの強豪校は、体質としては、まるっきりのブラック企業なのである。
私は、個人的には、甲子園を目指す子どもたちの練習ぶりや必死さを、日本で有数の新聞や放送局が、全社をあげて後援・称揚・美化・推薦している限り、ブラック企業はなくならないと考えている。
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あーこれは僕が子供の頃から甲子園や部活的なものが嫌いだった理由そのものだ。