p22(第1章 ダーウィンの遺産) 人間は 「最も優れた」生物ではない 直感的な理解が難しいことを理解しょうとするとき、人間はよく「誤解」します。もっともよくある誤解は「進化している」と「優れている」、あるいほ「よい」を同じものであると考えてしまうことです。先ほど述べたように、自然選択は単純なダーウィンアルゴリズムとして起こります。変異は偶然によって起こりますし、遺伝は親から子へと確実に起こります。3つめの選択は、それぞれの環境の中で適応度に違いがあることによって起こります。つまり、どのような特徴が選択されるのかは環境次第なのです。 もう一度キリンの首の例に戻ってみましょう。長い首が有利になるのは、食べ物が少なく、高いところの木の葉を食べることが死活問題になるような環境でのことです。食べ物が豊富で、その代わりライオンやハイエナなどの捕食者が多いような環境では、長い首は目立って捕食者から見つかりやすくなったり、速く走るのに邪魔になったりして、適応度を下げる特徴になるかも知れません。 果たして長い首は「優れた」特徴でしょうか? 「劣った」特徴でしょうか? 正解は「環境次第」です。それぞれの特徴の適応度に影響を与える環境について理解することなく、優劣を付けることには意味がありません。ただ、人間は自分たちについて理解するとき、このような冷静な判断ができなくなつてしまうようです。ダーウィンが進化についての教科書を書いた後、「人間が全ての生物の中で一番進化している」あるいは「人間は進化の頂点に位置する」という主張は数多く見られました。このような考えは自然選択とは関係亨、ダーウィン以前から存在する考え方で、「自然の階梯」と呼ばれています。昆虫が壷下で、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類とランキングが高くなり、人間は全ての動物の頂点に立つ、という考え方です。
根拠のない優越感とその弊害ここまでであれば、聞いたことがある方もいると思いますし、もしかしたら「なるほど」と思っている方もいるかも知れません。それでは、同じ自然の階梯の考え方で、「白人は有色人種よりも進化している」あるいは「上流階級の人間は庶民よりも進化している」といった主張はどうでしょうか。これも、ダーウィンの著書が出版されたのち、大まじめに行われた議論です。先ほどの議論には賛成できても、これには違和感をおぼえる方も多いのではないでしょうか。感情的・倫理的問題はさておき、自然選択などに基づいた生物進化の仕組みから考えると、これらの議論はどれも根拠の無いものです。(中略)
p44(第3章 社会脳とは何か) 大きな脳は燃費が悪い これまでの2つの章で、生物としての人間を研究するという目標で研究テーマを探していた私が「社会脳」というアイディアに出会うまでの経緯を、関連する研究分野を紹介しながらたどってきました。本章では、社会脳という研究テーマの成り立ちや広がりについてご紹介します。まず、人間の脳はなぜ大きいのか、という話から始めていきましょう。 二足歩行や火の使用、ことばの使用などに加えて、人間の大きな特徴は、大きな脳です。人間の脳の重さは1・3~1・4キログラム、人間にとって文字通り〝最も重い〟臓器です。学生の頃、大学の講義の一環として、脳の解剖に立ち会わせていただいたことがありますが、防腐加工がされた献体者の脳は見た目よりもずっしりと重かったことを記憶しています。また、ゾウやクジラなど、体が大きい動物はそれに比例した大きな脳を持っていますが、体重に占める脳の重さの割合を計算すると、人間は群を抜いています。生物進化の歴史では人間に最も近いところで枝分かれした、人間の「いとこ」であるチンパンジーやボノボなどの大型類人猿と比べても、人間の脳は倍以上に重いのです。 大きな脳は人間の「知恵」を生みだすからよいことなのではないか、と思う方も多いかもしれません。しかし、話はそう単純ではありません。 脳は、とても燃費の悪い臓器なのです。人間の脳は体重の2%程度の重さしかありませんが、体全体で使うエネルギーの20%を消費します。もし、脳を少しでも小さくすることができれば、その分だけ少ないエネルギーで生き残ることができるので、食糧不足の時期に生き延びる確率が高くなるでしょう。(中略)
p50(第3章 社会脳とは何か)(中略) 一夫一妻制のように、特定の相手と長くつがう種は大きな脳を持っていることが多く、逆に交尾の前後にしか異性と接触しないような、長く続くつがいの関係を持たない種は小さめの脳を持っていることが多い、という結果です。これらの生物群において、大きな脳は群れの大きさそのものではなく、長い期間特定のパートナーとの間の絆を保ち、協力して子どもを生し、時には共に子育てをする、という環境への適応として進化してきたのではないか、と考えることもできます。 また、この研究から、霊長類の群れの役割が他の生物種の群れとは質的に違っているのではないか、と考えることもできます。例えば、他の分類群では、つがい相手であるパートナーとしか持たないような〝絆″を、霊長類は群れの全員との間で持っている、という解釈もできるかも知れません。群れの仲間と協力し、取引をし、時には駆け引きを行う。こういった複雑な社会行動が霊長類の特徴であり、霊長類の一種である人間の特徴であるのかも知れません。
p138(第8章子どもは育つ、脳は変わる) 変わる脳を捉えるには 第3章でもお話ししたように、脳科学の1つの大きな流れとして、脳のどの場所でどのような処理が行われているのか、という脳機能の地図を描く、というものがあります。ところが、この脳機能地図は固定したものではなく、経験によって変化する、という研究が報告されています。 例えば、人が目でものを見た場合に活動する脳部位(視覚野)があります。興味深いのは、視覚に障害がある人が点字を指で読んでいるときの脳の活動を調べると、その視覚野が活動しているということです。これは、本来は視覚を処理する部位が、その人の経験の違いによって指から得た情報を処理するように変化したためである、と考えることができます。 また、バイオリンやギターなどの弦楽器を演奏する人は、指先の感覚を処理する脳部位が他の人よりも大きくなること、さらに、若い頃から楽器を始めた人の方が、この脳部位における「地図」の変化が大きいことも報告されています。これも、指を使う経験の違いにより、脳が指の情報を処理する場所に変化が生じたことを示しています。 さらに、ロンドンは道路が複雑で一方通行も多く、運転するにはかなり厳しい場所ですが、ロンドンのタクシー運転手の脳を調べると、職歴が長い人ほど、記憶に関連する脳部位が大きくなっていることが示されています。これは、複雑な道を覚えるという経験によって、脳の形が変化したことを示しています。(中略) 自閉症は親の育て方が原因ではなく、遺伝的な要因によって起こる発達障害ですが、遺伝的な要因が脳内の特定の場所での処理を変化させるのか、それともまわりの環境に対する注意や関心の持ち方を変化させ、その結果として環境からの学習の仕方を変化させるのかについては、すでに〝育ってしまった″子どもの脳活動を観察するだけでは区別できません。(中略)
p218(第13章 脳が動かす社会、社会が育てる脳) 社会脳の〝能力″と〝自発性〟 振り返ってみると、前の章でご紹介した2つの研究は、鏡の裏表のように、同じ現象を別の側面から示しているように思われます。まず、「心の理論」研究は、通常のテスト場面で誤信念課題を理解することそのものには何の問題も無い成人期の自閉症者が、何の教示も与えられない場面で、ただ相手の行動を見ているとき、誤信念に基づいた相手の行動予測を自発的に行う傾向が弱いことを示しています。 相手が何を考えているかを推測し、それに基づいて相手の行動を予測する能力をもっている自閉症成人でも、その能力を教示なしに自発的に使うことが難しいということです。先ほども触れたように、日常生活においては「はい、これからこの人の考えを行動から推測してください」といった教示がいちいち出されることはありません。 多くの人は、何も言われなくても、相手の素振りからその人の気持ちを自然と推理したり、察したりしているわけです。自閉症成人の場合、この「自然と起こる」社会脳の働きが起きにくいことから、実際の社会的な場面で困難を抱える可能性を示しています。 逆に言うと、定型発達者は相手の心の状態を理解する能力を持っているだけでなく、現実のコミュニケーション場面で、相手が何を考えているか、どんな気持ちでいるかについて自然に注意が向くことによって、相手と話題を共有したり、相手にとって目新しく興味深いであろうことを教えたり、時には相手の行動を予測して先回りしたりすることにより、適応的な対人行動やコミュニケーションを達成していると言うことも出来ます。(中略)
2014-01-29 17:53