年末年始の長い連休も終わり、明日から仕事である。
心は全く晴れない。
戦後一貫して続いてきた『右傾化』もここまで来ると
あのアメリカにさえ、日本は一体どうしたんだとはっきり言葉で言われる始末である。
新任のケネディ駐日大使にとっても多分理性の範囲外の出来事で
沈黙している以外にないのだろう。
国民もあきれている。
そもそも自民党の総裁選挙の時の次元の低さから
国民は徹底的に反省しなければならなかったはずなのだ。
あの時点で石破氏が党員票でトップになったこと、
安倍氏が国会議員票を含めて逆転したこと、
そのことを見て、「これは自分の責任なのだ」と思った人は少ないと思う。
「どうしようもない人たちだなあ」と思っただけで、
「やはり我々の民主主義は非常に未成熟である」と他人ごとのように思っただけではないだろうか。
しかし諸外国はそうは思っていない。
正式で不備のない法的手続きを踏んで選出された行政府の長であり、
立法府の絶対多数である。そして司法も信任されたことになっているのである。
諸外国はこの行政、立法、司法の三権の振る舞いを見て、
それが日本国の主権者の意思であると思うしかないではないか。
理想的な主権者意思と現実の主権者意思の乖離を私が判定することは出来ないのだが
それにしてもずいぶんとひどいことになっていると思う
なんという嘆かわしいことが進行しているのだろうか。
いままで数々の反省が記されてきた。
要約すれば、「あの時、我々は充分に注意していたのだが、ここまで行くとは思っていなかった」
ということになるだろう。
その反省を踏まえて、幾重にも慎重に制度を組み立てるべきだと思っていたはずである。
しかし戦後は一貫して軽挙妄動、思慮に欠け、はずみで事を動かす、そうした勢力が支持を広げている。
そして現実にここまで来てしまった。
儲かるのなら原発も輸出する、次は戦争兵器も防衛兵器と読み替えて輸出するつもりだろう。
集団的自衛兵器である。
9条を神格化してひれ伏す態度もおかしいと思うが
9条を適切に尊重して500年とか1000年の理想を目指すのも現実の世界で大切だと思う。
しかし現実にここまで来てしまったことをどう解釈したらいいのだろう。
『右傾化』は人間の本性かと思わざるをえないほどである。
しかしその前に、方法として、心理分析をする前に、経済分析をしたほうがいいと思うのである。
右傾化を支援している勢力の政治基盤と経済基盤を解明すべきなのだ。
そしてその解明ができていないから、右傾化を止められないのだし、
収入の倍を浪費する国家予算案をやめられないのである。
この国家予算をやめられないのだから、皆が共犯者または善意の愚か者ということになる。
アベノミクスとか三本の矢とかの幼稚な言葉に目眩ましされてしまう愚かさはどうしたことだろう。
三本の矢など、誰が考えてもそれしかないものなのだし、いままでも必死にやって来たものである。
ただ国際的な財政状況とタイミングが一致したので偶然にも最初の部分で効果があったように見えているにすぎない。
三本目の矢である、新成長産業を早く出せと言っているのに誰も出せない。
女性を使えというが、その分、若者が職につけないだけである。女性も若者も働く場所をどうして作ることが出来ないのだろう。
TPPの流れは自民党が公約違反になることになっても、止められない状況である。
これには二つの側面があって、第一に、世界の合理的な未来としては、関税を廃止した自由貿易世界が望ましい。
しかし第二の側面は、多国籍「貪欲資本主義」が世界を飲み込んでしまうということである。
アメリカの経営者の収入は、他方で存在する99%の貧困を考えて、許容されるものだろうか。
日本でも同じである。カルロス・ゴーン氏とか。秋元康氏とその周辺の人達の収入格差についても話題になっていた。
貪欲はどこまで許容されるのだろうか。
自由主義経済は限りない貪欲をも許容するのだが、
共同体的人間であるかぎり、自ずから限度というものがあり、倫理があり、共感があり、惻隠の情があり、
従って、限りない貪欲は抑制されるはずだという常識の上に許容されているのだと思う。
しかしいまはその「留め金」が外れてしまっている。
思うのだが、限りない貪欲の中に生きて、一年に数十億円とかの収入を手にしている人たちは
何を幸せと思うのだろう。妻も子も友人も裕福な暮らしの中にいるのだろうから、
貧困のゆえに餓死をするとかそのようなひどい状況はたぶん抽象的な言葉の世界のことなのだろう。
中国も韓国も日本に対して領土の点で攻勢をかけているのだから、日本は対抗しないといけないとか、
北朝鮮はミサイルと核を日本にも向けているとか、いろいろと議論がある。
領土の話で言うと、尖閣も竹島も大切だろうが、日本の中心部、たとえば千代田区、中央区、港区、文京区などの
土地や建物の所有者の現状をどう見るだろうか。
日本の中枢部の土地建物の所有者が日本人ではないのである。海外ファンドであったり、
追跡するともともとは中国人であったりするようだ。
これは国益や国防の点から問題はないのだろうか。
諸外国では、土地の所有に関しては、外国人に制限を欠けている国がある。当然だろう。
全部買われてしまう場合だって想定できるのだから。
進行しつつあるそのような現状に対して、何も手を打たない。
手を打てば、不動産価格が暴落するからである。
戦争をしてでも尖閣を守るという人たちが、自分の所有不動産の価格を維持するために、
日本の中枢部の不動産所有を、彼らの言う敵国人に許容しているのである。
おかしなことだと思う。
自民党が野党であった時期に何が起こっていたかの議論がある。
衆議院選挙で民主党ブームが起こって小選挙区で負ける議員が続出した時、
それでも当選して生き残る議員もいた。
それは世襲貴族のような人たちで二世や三世で、選挙地盤があり、人脈があり、
資金もある人達だった。
彼らは当然のように自分たちは永続的に支配階級だと感じている。
選挙さえ勝てばいいのだ。
当選すれば役所にも顔が利いていろいろと裁量ができる。
細かいことは役人に任せればいい。
ところが役人の劣化が始まって久しい。役人は世襲というわけにはいかないし、
最近は世間の風当たりもきつい。必ずしも最優秀の人材と評価されるわけでもない。
政治家がころころ替わっても、一貫して消費税増税を実現するくらいは出来たが、
収入の範囲内で暮らせと国民に言うことなど出来ないままである。
役人が政治家を教育するわけだが、教育する方も劣化し、教育される方はもっと劣化しているのだから、
どうしようもないくらいのものである。
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民主主義を維持するために
もっと努力する必要があって、
主権者の意思を表示するために、自分が汗をかいたり、100万円くらい献金して活動を活性化したり、
そのくらいの『痛み』が必要なのだろう。
たぶん、いままで『ただ乗り』が習慣になっていたのではないかと思う。
そのすきに愚かで貪欲な人たちがここまで辿り着いたというわけだ。
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良い志のある若者が何をしたらいいのか、
その具体的な指針を示すくらいは、我々高齢者がしないといけないような気がする。
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社会の基本となるのが教育だと思うが、その教育がうまく機能していないと思う。
なぜなのかは複雑で良く分からない。
しかし教育分野も政治と同じで、心理分析をする前に、経済分析をしたほうがいいと思うのである。
理由は心理にではなく経済にあるのではないかと思って分析してみたほうがいい。
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たとえば宗教学などはかなり純粋に心理学的分析になじみそうな分野ではあるのだが、
切れ味の鋭い考察は、時代ごとの経済的基盤の分析が基礎になっていると思う。
そして現代の宗教的減少についても、経済的基盤からの考察が大変有効なはずだと思う。
右傾化も教育崩壊も、お金の流れ、人脈の系図、権力関係、などでまず分析した方がいい。
2014-01-06 02:56