「いわゆる『不良』としての経験がない『ゆるい』ヤンキーが増えています。明らかな犯罪や反社会的行為を行うわけではありませんが、ヤンキー的価値観をカッコいいと思い、共感している人々です。
統計的には、非行少年の数はむしろ減っている。ですがその一方で、ヤンキー的な行動や文化が不良という狭い世界から解放され、世間一般にあふれ出しているのです」
かつてのヤンキーとは異なる、「新ヤンキー」と呼ぶべき人種が、いま日本で爆発的に増殖しつつあるのだ。
たとえば、首都圏から少し離れた関東の地方都市。国道沿いにショッピングモールや量販店、ファミリーレストランが建ち並ぶ郊外に彼らはいる。
地元の学校を卒業し、地元の工場や店舗に就職。早ければ、都市部の大学に進んだ同級生が学生生活を送っているのと同じ頃、やはり地元の友人と20歳そこそこで「デキ婚(できちゃった結婚)」し、子どもには「キラキラネーム(当て字や難読漢字を使った読みづらい名前)」をつける。「東京のエリート」が頭を悩ませている晩婚化や高齢出産は、遠い世界の話である。
週末といえば大型ショッピングモールで買い物、カラオケ、ボウリング。本も雑誌も新聞も全く読まず、暇な時間にはテレビを見るか、スマホでゲームに興じる。ファミリーレストランやコンビニ弁当、ファーストフードで食事を済ませ、ときどき子連れで居酒屋に出かける。
「休みはラウワン(ラウンドワン、ボウリングやカラオケを備えた複合アミューズメントチェーン)かなあ。携帯はLINEとパズドラ(スマートフォンのゲームアプリ)しか使わないっすね」(ショッピングモールの男性客)
■野菜よりから揚げを選ぶ
先月、札幌市の衣料品店で店員を土下座させた写真をインターネットで投稿し、「炎上(集中的に非難を浴び、個人情報を暴かれること)」したあげく、強要罪で逮捕された主婦がいた。各地方都市でも、若者がスーパーの商品や勤務する飲食店の食べ物の上に寝そべり、その写真を投稿して炎上している。彼らの行動は、新ヤンキー的価値観の一環として説明できる。前出の斎藤氏が言う。
「ヤンキーの価値観は『気合主義』と『反知性主義』。つまり、『気合と勢いがあればなんとかなる』『ややこしい理屈をこねるより、大それたことを実行した奴が偉い』という発想です。このような考え方は、日本人なら誰もが多かれ少なかれ不良経験とは無関係に持っているのですが、近年それが顕著に表れるようになっています。
『半沢直樹』でブームになった土下座も、よくよく考えれば暴力的で、ヤンキー的な風習。土下座ブームを見て、日本人のヤンキー性を改めて痛感しました」
ヤンキー的な感性に訴えるものこそが、全国民を巻き込む大ブームを生み出すことは、新ヤンキーの増加を示す証拠かもしれない。現代の大衆文化に詳しい、編集者の速水健朗氏に詳しく解説してもらおう。
「いま、どこの地方都市にも同じチェーン店が建ち並び、似たような景色が広がっています。そうした環境の中で暮らすヤンキーは、実は日本経済の中で大きな市場となっている。
東京では全く売れないのに、地方では爆発的に売れているものがあります。浜崎あゆみ・EXILEなどに代表される歌手やアイドルのヒット曲、数年前にベストセラーになった『ケータイ小説(註・携帯電話で読める小説を書籍化したもの。若い女性に人気を博したが、内容が批判の的にもなった)』などは、東京では誰も興味がないのに、地方ではみんなが買っている。
一方でその逆もある。時折コンビニで野菜を多く使った弁当が売り出されますが、長続きしない。健康に気を遣うのは首都圏の富裕層だけで、圧倒的大多数を占める地方の客は、から揚げ弁当を買うからです。
いま日本で売れるのは、好みが多様化している東京の住民ではなく、地方で一枚岩を形作っているヤンキーに受ける商品なのです」
■東京を嫌っている
かつて、「1億総中流」という言葉があった。高度経済成長で景気は右肩上がり、市場には欲しいものが溢れ、日本人は皆同じテレビ番組を見て、同じヒット曲を聴いた。国民全体を包む「仲間意識」があったのだ。
「しかし、時代は変わりました。不況のため、経済的な理由から一生地元から出ずに過ごさざるを得ない人々が増えたのです。
ですから、現代のヤンキーは東京に憧れず、地元への愛着が非常に強い。インテリが集まる東京のことは、無視するか嫌悪している」(速水氏)
では、格差社会のもう一方、エリートの世界はどうなっているのだろうか。
アメリカの政治学者チャールズ・マレーによれば、いわゆるアメリカのエリート(政治、金融、学術、経営、IT、メディアなどの分野で意思決定を担う人々)は、ほぼ全員がニューヨーク、ワシントン、ロサンゼルス、サンフランシスコの4都市に住んでいるという。
日本では、事態はもっと単純だ。彼らは東京に住む。
東京湾岸は、都心で働く若い富裕層たちのベッドタウンとなっている。東京タワーと東京スカイツリーの両方を望む場所に建つタワーマンション。厳重なセキュリティに守られた敷地内には、高級スーパー、レストラン、医院、フィットネスクラブ、入居者専用のサロンなどが完備されている。出入りする車は、ベンツ、BMW、ジャガーにポルシェと、日本車を見つけるのが難しいほどである。
ここに住む男性に話を聞いた。男性はまだ30代後半ながら、IT企業で幹部を務める。
「いまは妻と二人暮らしです。休みの日はジョギングしたり、語学やプログラミングの勉強をしたり。友人や仕事で知り合った人とパーティを開くこともたまにあります。
テレビ?最近は全然見てないですね。ニュースはネットと新聞の電子版で十分です。ドラマとか野球にも興味ありません。くだらないし、周りも誰も見ていませんから、特に困らない」
ヤンキー文化研究の第一人者として知られる、東北大学大学院教授の五十嵐太郎氏が言う。
「学歴が上がるにつれ、ヤンキーは周囲からいなくなっていきます。東京に住み、学歴が高く、収入の高い人は、物理的にヤンキーと接する機会がない。しかも、地方から東京に出てくる人が減っているとすれば、今後ますます階級格差は固定化されるはずです。
一方で郊外や地方に住むヤンキーたちには、そもそもエリートが何の仕事をし、ふだん何を食べ、どんな遊びをして暮らしているのかまったく分からない。上流の文化が存在するということさえ知りません。
これまで日本では、アメリカやヨーロッパのように経済以外、つまり文化の面で露骨な階級格差が表れることはありませんでしたが、社会構造が変わりつつあるのでしょう」
同じ日本に住んでいても、新ヤンキーとエリートはもはや別世界の住人だ。
両者の違いが最も端的に表れるのが、妊娠・出産についての考え方だろう。オーク梅田レディースクリニック医師で産婦人科医の船曳美也子氏が、エリート夫婦の驚くべき実態を話す。
「ここ数年、『出会ってから10年以上一度も夫婦でセックスをしていないが、子どもは欲しいので人工授精をしてほしい』という夫婦から相談を受けるようになりました。聞くと、夫婦関係は悪くないし、欲求不満でもない。でも二人とも『セックスによるコミュニケーションは私たちには必要ない』と断言するのです。
ともに知的労働に従事していて、所得も高い人たちがほとんど。こうした夫婦を、私は『未完成婚』と呼んでいます」
もちろんこのような場合に、医師が人工授精を行うことはない。
エリートは子どもをもうけないか、せいぜい生んでも一人だけ。一方で、新ヤンキーたちは20代でどんどん子どもをつくる。このままいけば、「日本人の9割がヤンキー」という時代が来るのも時間の問題だ。
■エリートに利用される
先述した、新ヤンキーの人生には続きがある。あまりにも若くして結婚する場合、夫婦ともに定職を持たないままということも実は多い。夫は職を転々としつつ家族を養うが、2人目、3人目の子が生まれると家計を支えきれなくなってしまう。歳をとるにつれ働き口がなくなってゆき、ヤケになった夫がギャンブルに溺れるかたわらで、困窮した妻子は家を出て、生活保護で暮らすようになる―。
かつては地方にも仕事があり、やんちゃな若者もやがて良き父・母になった。しかしグローバル経済が、そのシステムを破壊しつつある。スキルを持たない新ヤンキーは、外国人労働者と闘わねばならないのだ。
ヤンキーとエリートの階級格差は、ある意味で「国策」なのではないか―そんな過激な指摘をするのは、思想家の内田樹氏である。
「もっとも強く階層分化を望んでいるのは財界です。日本の製造業が海外に生産拠点を移して久しいですが、移転先の経済成長とともに人件費が上がり、企業の収益は圧迫されていきます。ですから、すでに多くの企業は中国を捨てて、インドネシアやベトナムなどに移転し始めている。
しかし、この『焼き畑農業』的な拠点移転はコストがかさみます。工場施設も、従業員研修も、せっかく築いた政治家や官僚とのコネもすべて無駄になるからです。社会的インフラが整備され、治安がよく、言葉が通じる日本で操業するのが、企業にとっては実は一番ありがたい。
ネックは人件費です。これを劇的に切り下げることができれば、海外に出る必要はありません。ゆえにいま、政・官・財界は『未熟練・低賃金労働者の非正規雇用』を標準とする雇用形態への移行を図っている。最低賃金制の廃止、世界同一賃金、英語公用語化といった労働慣習改変がめざしているのは『アジア並み賃金』の達成なのです。
ヤンキーが『低学力・低賃金・非組織・非正規労働者』の供給源になる。彼らはエリートに収奪される側ですが、反政府的な運動を組織するおそれがない。反知性主義ゆえに、自分たちの立場を解明することに一切興味を示さないからです」
政治の都合にも合致しているのだとしたら、この流れを押し止めることは容易ではないだろう。9割のヤンキーとごく一部のエリートに分断された社会が、健全であるはずがない。
「週刊現代」2013年12月7日号より