会社でも家庭でも話が通じないということはしばしばだろうと思う
話が通じないという言葉で何を意味しているか
これもまた大きく幅がある
帰りに卵を一パック買ってきてくださいというような具体的なものから
人生は辛いなあというような感情の共有までいろいろである
それにしても話が通じないと感じる場面も多いらしい
それはそれぞれの人の内部で言語の網の目がかなり異なるからだろうと思う
最近は家族内でも言葉の共有は難しくなりつつある
解像度の異なるテレビのようなもので
映らないのも無理はない
言葉の意味や前提を詳しく噛み砕いて説明することは一般の我々にはとても困難なことであって
そんなの説明しようがないよ、わかるでしょう、というような要素的な概念を前提として
その先のことを言おうとしているのだから
前提部分ですれ違いがあると、お互いの理解はあまり期待できないだろう
それでも必要があるから、コミュニケーションをするのだけれども、
通じないなあという気分だけが残ることもある
野球ばっかりやっている少年に難しいことを言っても無駄だということは予想がつく