"かつてと比べると、今は管理職たちの部下に対する指導力は落ちているように思う。"
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上司が繰り返し丁寧に指導をしたとしても、仕事のレベルが一定水準にならない人もいる。上司からすると、それ以上はどうすることもできない。たとえば、会社や仕事自体が合わないのかもしれない。
なかなか仕事を覚えることができない人については、「このくらいが限界だな」と見定めることも、管理職にとって時には必要。最終的にその社員の扱いは、会社の評価の問題であり、人事権を握る人たちが判断すること。
仕事ができない人をそのままその部署に置いておくから、自分たちに仕事が押し寄せて来るという不満だった。最近は、こういう不満を聞く機会が増えてきた。その意味でも、人事評価などでは何らかの対応をすることが必要だとは思う。
様々な試みをしたが、自分を変えることは、私にはできなかった。今は、部下の言動などに腹が立ったときは、「我慢しよう」と言い聞かせて、あえて言わないようにはしている。60代になると、感情が退化したからなのか、多少変わりつつある。それでも難しい(苦笑)。
今の管理職は、その多くがプレイングマネジャー。その意味で、本当に大変なことだと思う。その上、問題を抱え込んだ部下を持つと、大変なことになる。これは経験した管理職にしかわからないだろうが、実際、本当に苦しい。
メンタルヘルスの研修を依頼される。その大半が「ラインケア」だ。上司らが、部下の心の不調を素早く見抜き、何らかの支援ができるようになることが狙いの研修だ。
?「ラインケア」の研修の依頼が増えるのは、「周囲の者がメンタル不調を防ぐべき」という考えが根底にあるのではないかと思う。
「柔軟な職務構造」に一因があると思う。つまり、日本の職場では、社員の仕事の割り当てや分量、さらに権限と責任などが日頃から曖昧になっているケースが多いことだ。
こういう状況で、ひとたび自殺などの問題が生じると、突然問われる責任の範囲などが広くなり、上司やその上の上司などが責められることになりかねない。さらにその問題が鎮静化すると、責任の範囲がなぜか狭くなり、上司などから職務権限が奪われることすらある。柔軟といえばその通りだが、節操がなく、組織として無責任すぎるのではないだろうか。
このように、責任の所在や範囲を明確にされないまま、責められるべき人が決められてしまう傾向があることは否定できないと思う。さらには、上司などに非はないのだが、「責任を取る」という名目で他部署に異動になったりすると、なぜか「立派な人」という評価を受け、人望が高まることすらある。
多くの日本企業は、個人の責任の範囲がきわめて不明確であり、職場の空気やムード、世論、さらに上層部の思惑などによって、責任の所在がいかようにも変わってしまうリスクがあるのではないだろうか。私には、自殺に限らず、パワハラやいじめ、さらに過労死などの問題が生じた場合も、この曖昧である意味「柔軟な職場構造」が深い意味を持っているように思える。
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