この世の中に私達の脳が快と感じるものと不快と感じるものとが共存しているのは不思議であると思う
世界に適応するとは一面では世界を全般的に快と感じることだと思うのだ
長い時間が経てば環境のすべてが快刺激になるはずだろう
いまだ充分に長い時間が経過していないということなのだろう
現在では不快刺激は危険の警告であると解釈されている
蛇とか、高所とか、閉所とか
それらは回避したほうが生存価が高まるからと解釈する
しかし考えてみるとそれらを不快と思う代わりに
蛇の毒を無力化する能力を身につければよいわけだろうし
今後もっと長い年月の間には
高所にも閉所にも全く不安を感じない人間が多くなるだろう
高所から落ちても平気な構造
閉所で何かあっても窒息もしない構造が人間に備わるのかもしれない
一方で、不快の一番の元は他人である
これは多分、お互いの縄張りの問題から発している深いレベルの問題なので
簡単にはなくならないだろうと思う
誰とでも仲良しなのではなくて
仲良しもいるけれども、嫌いな子もいるというのが、現実であって、未来においてもやはり現実であろう