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アートは社会にとって必要ではありません、余計なものなんです。
だから、社会に必要とされるアーティストになろうなんて愚の骨頂です。
アーティストははぐれ者じゃなきゃいけないし、自分がなりたいからなるのであって、社会がどう必要としているかなんてまったく関係ない。
アートを、エコのためにとか、貧困を救うために……なんて使っているけど、そんな馬鹿げた話はない。そういうのは、アートや音楽を使った洗脳だし、プロパガンダとしてアートを使うものではないと僕は思っている。
この前『サド、ゴヤ、モーツァルト』(ギィ・スカルペッタ著 / 高橋 啓訳 / 早川書房)という本を読んで、この3人は1789年7月14日のバスティーユ襲撃のときに、場所はちがうけど生きていたんですね。
フランス革命で王政と旧体制が崩壊するまでは、音楽や絵などのアートは、その時どきの権力者である教会や王侯貴族など、いわゆる金持ちの側で発展したもので、それはブルジョワを経て、現代ではお金をもつ企業や、お金を払う消費者などに変形しつつもいまもつづいている。
つまり、絶対王政ぐらいまでの長いあいだ、職人とアーティストはおなじ意味をもっていて、金持ちに雇われてやることだったし、そのことに疑念ももたなかった。“アートのためになにかをやること”なんてつい最近のことなんですよ。フランス革命あたりぐらいからそうやって新社会になっていく。
とても反語的なんだけど、アートはお金のあるところでしか発展しない。
だから、世の中の必要性などに反して、自分の道を行け。
アーティストの条件なんてないし、学校でアートを学ぼうなんて、もうそこからダメ。”