「5.62 独我論の言わんとするところは全く正しい。世界が私の世界であることは、この言語の限界が世界の限界を意味することに示されている」 「5.621 世界と生は一つである」 「5.64 独我論を徹底すると、純粋な実在論と一致する」 ーーー 更に飛躍すると、 純粋な実在論は、生存競争に勝ってDNAを残す実在論と一致する。 女にとっての純粋実在論は、勝った男性のDNAを残すことである。一緒に戦って勝つことではない。一緒に戦って勝ったとしても、それがよいDNAだとはいえない。あくまで、よいDNAを選ばない

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世界は、「形式」というフレームを当てはめることによってはじめて理解可能な姿になる 世界は、人間が理解できる意味をはじめから備えていない。人間が意味づけしなければ意味は生じないのだ。そして、その意味づけをするときに形式という「フレーム」が必要になる。 ーー そのフレームが歪んでいるのが精神病という事態の根源的な意味である。 フレームとは何か、歪みとは何か、その意味の把握自体も超越論的な認識に属するだろう。説明しきれない何かだと思う。 また、別の説明モードで、同じ内容を説明できるのだろうという気もする。

世界は、「形式」というフレームを当てはめることによってはじめて理解可能な姿になる 世界は、人間が理解できる意味をはじめから備えていない。人間が意味づけしなければ意味は生じないのだ。そして、その意味づけをするときに形式とい … Read more 世界は、「形式」というフレームを当てはめることによってはじめて理解可能な姿になる 世界は、人間が理解できる意味をはじめから備えていない。人間が意味づけしなければ意味は生じないのだ。そして、その意味づけをするときに形式という「フレーム」が必要になる。 ーー そのフレームが歪んでいるのが精神病という事態の根源的な意味である。 フレームとは何か、歪みとは何か、その意味の把握自体も超越論的な認識に属するだろう。説明しきれない何かだと思う。 また、別の説明モードで、同じ内容を説明できるのだろうという気もする。


デカルト以来の、「存在の正しさがどのように確かめるられるか」という疑問に対し、全てを懐疑するわけにもいかず、全てを神に委ねるわけにもいかず、哲学はその矛盾の中で様々なアイデアを出してきた。この存在への問いに対して、カントは「アプリオリとアポステリオリ」「分析と総合」という観点を導入し、「アプリオリな分析的認識」と「アポステリオリな総合的認識」との間に「アプリオリな総合」なるものを捻り出すことによって、答えようとした。人間の認識は「物自体」には到達することはできないけれど、自ら感性や悟性などの人間が認識でき

デカルト以来の、「存在の正しさがどのように確かめるられるか」という疑問に対し、全てを懐疑するわけにもいかず、全てを神に委ねるわけにもいかず、哲学はその矛盾の中で様々なアイデアを出してきた。この存在への問いに対して、カント … Read more デカルト以来の、「存在の正しさがどのように確かめるられるか」という疑問に対し、全てを懐疑するわけにもいかず、全てを神に委ねるわけにもいかず、哲学はその矛盾の中で様々なアイデアを出してきた。この存在への問いに対して、カントは「アプリオリとアポステリオリ」「分析と総合」という観点を導入し、「アプリオリな分析的認識」と「アポステリオリな総合的認識」との間に「アプリオリな総合」なるものを捻り出すことによって、答えようとした。人間の認識は「物自体」には到達することはできないけれど、自ら感性や悟性などの人間が認識でき


冪集合の冪集合を更に重ねて考えると、カントールによる無限が、正しく無限に広がり、その「楽園」が完成する。 しかし、楽園の誕生とともに、この無限の底なしの広がりを「実在」したものととらえること自体が許されるのかという問題が現れてくる。それが、「カントールのパラドクス」であり、「ラッセルのパラドクス」であり、「ゲーデルの不完全性定理」である。 カントールのパラドクスとは、「全ての集合の集合なるものが存在し得るか」というものである。 「全ての集合の集合」などというものが存在し得るのであれば、この集合Xはあら

冪集合の冪集合を更に重ねて考えると、カントールによる無限が、正しく無限に広がり、その「楽園」が完成する。 しかし、楽園の誕生とともに、この無限の底なしの広がりを「実在」したものととらえること自体が許されるのかという問題が … Read more 冪集合の冪集合を更に重ねて考えると、カントールによる無限が、正しく無限に広がり、その「楽園」が完成する。 しかし、楽園の誕生とともに、この無限の底なしの広がりを「実在」したものととらえること自体が許されるのかという問題が現れてくる。それが、「カントールのパラドクス」であり、「ラッセルのパラドクス」であり、「ゲーデルの不完全性定理」である。 カントールのパラドクスとは、「全ての集合の集合なるものが存在し得るか」というものである。 「全ての集合の集合」などというものが存在し得るのであれば、この集合Xはあら


私はここで、世界と世界の象を考える。 世界に対して働きかけて、その結果を人間の感覚は受け取る(A)。 また、「人間の脳の内部にある世界の象」に対して同じように働きかけて、その結果を人間の「内的感覚」は受け取る(B)。 ここでは、運動神経を通じての外部世界への出力と同等の出力を、脳内部の世界の象に対して出力しているのである。 この、AとBの時間差を考える。 脳の中の、比較照合部位に到達する時間が Bが早く、Aが遅いのが人間の通常の姿である。ここに人間の自意識が発生し、特に自意識の能動性が発生する。 Aが早く

ウィトゲンシュタインは「論理哲学論考」という本で「アプリオリな総合」という認識を認めず、人間は世界の像を作ることによって世界に到達できるとした。 ーー 私はここで、世界と世界の象を考える。 世界に対して働きかけて、その結 … Read more 私はここで、世界と世界の象を考える。 世界に対して働きかけて、その結果を人間の感覚は受け取る(A)。 また、「人間の脳の内部にある世界の象」に対して同じように働きかけて、その結果を人間の「内的感覚」は受け取る(B)。 ここでは、運動神経を通じての外部世界への出力と同等の出力を、脳内部の世界の象に対して出力しているのである。 この、AとBの時間差を考える。 脳の中の、比較照合部位に到達する時間が Bが早く、Aが遅いのが人間の通常の姿である。ここに人間の自意識が発生し、特に自意識の能動性が発生する。 Aが早く


“男に「フロントホックって何?」って聞いたら大抵「前で外すやつ」って答えるらしいです。男にとってブラジャーは「外すもの」だから。「前で留めるやつ」って答えた男がいたらそいつは日常的にブラを着用してる。”

“男に「フロントホックって何?」って聞いたら大抵「前で外すやつ」って答えるらしいです。男にとってブラジャーは「外すもの」だから。「前で留めるやつ」って答えた男がいたらそいつは日常的にブラを着用してる。”


火刑(Burned at the Stake) 受刑者に火をつける、あるいは火であぶることにより殺害する死刑のひとつ。火刑は、公開処刑で見せしめ的要素が強く、一度の処刑で多数の人間に対し、凶悪犯罪の結果は悲惨な死であるというメッセージを与えるという効果をもたらすと言われていた。18世紀前まで火あぶりはごく一般的に行われていた 「火あぶり」はとろ火が一番残酷らしい・・・。なかなか死ねないので苦悶が続く。最後のことばに「もっとまきをくべてくれ」があったらしい。本当か? 火勢が強いと窒息死するんだっけ

火刑(Burned at the Stake) 受刑者に火をつける、あるいは火であぶることにより殺害する死刑のひとつ。火刑は、公開処刑で見せしめ的要素が強く、一度の処刑で多数の人間に対し、凶悪犯罪の結果は悲惨な死であると … Read more 火刑(Burned at the Stake) 受刑者に火をつける、あるいは火であぶることにより殺害する死刑のひとつ。火刑は、公開処刑で見せしめ的要素が強く、一度の処刑で多数の人間に対し、凶悪犯罪の結果は悲惨な死であるというメッセージを与えるという効果をもたらすと言われていた。18世紀前まで火あぶりはごく一般的に行われていた 「火あぶり」はとろ火が一番残酷らしい・・・。なかなか死ねないので苦悶が続く。最後のことばに「もっとまきをくべてくれ」があったらしい。本当か? 火勢が強いと窒息死するんだっけ