まあ、高学歴の世界と低学歴の世界と言う風に学歴で割るのが良いのかどうかという問題はあるにせよ、象徴的にうまく言い表しているので、ひとまずその表現に従います。 私の場合は、たぶん、「高学歴の世界」の住人でした。親はどっちも一応有力国立大学を出て、父は大企業のサラリーマン、母は専業主婦。最終的には私もそこそこの大学を卒業しましたし、子供のころは家にピアノもありました。習い事とかも一通りさせてもらったと思います。なお弟は地元で医者をしています。 で、私の育った家庭は、私が幼稚園の頃、地方でも、かなりの田舎の

採録

まあ、高学歴の世界と低学歴の世界と言う風に学歴で割るのが良いのかどうかという問題はあるにせよ、象徴的にうまく言い表しているので、ひとまずその表現に従います。

私の場合は、たぶん、「高学歴の世界」の住人でした。親はどっちも一応有力国立大学を出て、父は大企業のサラリーマン、母は専業主婦。最終的には私もそこそこの大学を卒業しましたし、子供のころは家にピアノもありました。習い事とかも一通りさせてもらったと思います。なお弟は地元で医者をしています。
で、私の育った家庭は、私が幼稚園の頃、地方でも、かなりの田舎の都市の周辺新興住宅地に、開発開始直後に移住。そこがなんというかワンダーランドで、新興住宅地なのに、その住宅地が期待している高学歴の世界の住人は誰もまだ入ってきていませんでした。誰がいるかと言うと、地元の果樹農家とか稲作農家の子供、農家相手の地元の小さい商店街の子供、あとは大メーカーの工場の高卒労働者の大規模社宅があり、そういうのばっかりが幼稚園や小学校の同級生でした。
お遊戯とかまじめにやるのがいやだ、けがをするととにかくバンドエイドをべたべたに貼りまくる、子どもを放って親は平気で遊びに行くし近所の割烹料理屋で飲み散らかす、口より先に手が出る、駄菓子とかガチャガチャを野放図に子供にさせる。みんなのノリで社会的規範を乗り越えて非常識なことをして偉ぶるとか大好きです。同級生やその親はそんなのばっかりでした。とにかく頭を使わない。努力は嫌い。
それでも私は幼稚園に通ってたからまだましな部類で、小学校から、保育園組が混ざってきて、これがさらに輪をかけてひどかったです。小学校に入って初めて文字を読む、足し算引き算が異様に遅い(指で数える)、勉強している人や努力をしている人は、幼稚園組からはスルーの対象でしたが、保育園組は積極的に邪魔をしていじめにきます。小学一年生にそんな知恵もあるわけはないので、これは親の差し金です。先生が真面目に怒っていてもへらへら笑います。同級生が真面目に怒ってたらへらへら笑って、最後殴りあいの喧嘩です。もちろん、勉強できる子よりも足が速い子の方が偉いヒエラルキー感覚です。
今思えば、私が小学校に入る前後に、母親が異常にしつけに厳しい時期がありましたが、彼女はたぶん、このような「低学歴の世界」的な同級生に引きずられる息子が嫌で、補正しなければと思っていたのだと思います。実際、私は2学年下の弟に時折言われるのですが、「お兄ちゃんは標準語を話しているときはむしろ僕より知的なのに、地元方言を話しているときはすごく汚い言葉になるよね」と。弟が幼稚園や小学校に入った時は、開発された新興住宅地に、目論見通りのちゃんとしたサラリーマンが大挙して入ってきて、かなり子供の質が上がっていた時期なので、弟はきれいな地元方言を話すのですが、私の場合は、ばっちり真正地元民の地元方言です。
なお、このような地方で、「高学歴の世界」にいたいと考える親は、公立小学校ではなく、地元国立大学の附属小学校に子供を入れます。そこは、地方では密度の薄い「高学歴の世界」の住人だけが集約され、集う場所です。ハイソです。
でもこんなのでも小学校はまだマシで、中学受験で優秀な子は地元の6年制一貫の進学校(受験少年院)や国立大学付属中学校に抜けてしまうので、残った地元の公立中学校はさらにワンダーランドです。私のクラスで最終的に大学に行ったのはせいぜい10人。クラスの一番かわいい女子や享楽的な女子は中学校1年か2年で処女喪失をし(だいたい夏休み)、それがクラスにだいたい3~4人いて、次にその取り巻きのワナビーが中学3年の時に処女喪失をして(やっぱり夏休み)、20人ちょっとしかいないクラスの女子の1/3くらいは卒業時に処女ではありません。そうそう、クラスで2番目に勉強ができた女の子は、地元の商業高校に進学し、高校を出たらすぐ郵便局に勤めました。彼女より勉強ができなかった男子が地元の国立大学に行ってるので、彼女は適切に高校教育を受ければその地方の旧帝大とは言わないまでもその次クラスの国立大学には優に合格できたのではないかと思うのですが、彼女の親はそのような人生を彼女に歩ませませんでした。かなり頭良かったのに。
そういう中での「高学歴の世界」の住人の振る舞いはかなり微妙です。僕が中3の時のクラスで女子で一番勉強ができた子は、可愛かったのでヤンキーな先輩に目をつけられて中2の時に処女を喪失して、そのあと中学卒業までに3人ほどと肉体関係がありました*1。ピアノとポップアートっぽいデザインが上手で、地元の国立大学付属中に合格したのにくじ引きで落ちたという、本来的に「高学歴の世界」の住人だったはずの彼女は、そうやってヤンキーにセックスを提供することで「低学歴の世界」で生き抜いたわけですね。高校まではずっとヤンキーだったのに、東京の有名私大に進学した彼女は、あのころのヤンキーテーストはどこへやら、コンサバでスマートな衣服に身を包んで、「高学歴の世界」に生きています。
私は今でいうスクールカーストの下位にいたので、ひたすらオタクを装い、勉強はしていないことにして、でも学校の定期テストのときはヤンキーなお兄ちゃんたちに正解答案を試験時間中に提供していました。彼らの恨みを買うことは徹底的に避けました。そうやって、「低学歴の世界」の人たちの集団的リンチを避けていたわけです。私は、高校から、地元の受験少年院と言われる私立高校に入学し、「高学歴の世界」に復帰し、大学でそこそこのところに合格できたので、本格的に「高学歴の世界」で生きることになりました。
地方では、「高学歴の世界」の住人の密度が薄いので、地元国立大の附属小学校に行けるとかの特別な例外を除いては「低学歴の世界」に混じり込まなければいけません。そして、その「低学歴の世界」とうまく付き合えなかった多くの「高学歴の世界」の子弟は、いじめと言う名の社会的制裁を受け、あるいは高学歴の世界の住人としての努力を継続することができなくなってしまいます。結果、少なくとも学力とかを通じては「高学歴の世界」に復帰できなくなります。お父さんが一橋出てる高級サラリーマンなのに娘が皆謎の地元短大卒とか東大出てる高給サラリーマンなのに息子が高卒ニートとかよくあります。もちろん、その子どもたちの価値観は、
「低学歴の世界」のそれです。
こういう世界で生きてきた身としては、上記エントリの
大学へ行ってまず俺が驚いたことは、友人達の家庭環境と文化レベルの高さ。
両親がサラリーマン家庭(そういう友達は地元ではほとんどいなかった)
家族兄弟の誰かが海外赴任とか海外住まいとか普通にいる(英語ならお姉ちゃんがペラペラだよ、とかすげぇ)
海外旅行経験者多すぎ(国内旅行すら修学旅行くらいだった俺には衝撃)
趣味が舞台鑑賞とか美術館めぐりとか(ギャンブルが趣味じゃないって凄い)
騙す人なんてほとんどいない、無条件に人を信用する人の多さ
お金を貸しても絶対返ってくる
「ありがとう」とか感謝の言葉が普通に飛び交う
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
は、本当に私も共有する驚きでした。これは、私の場合は、自分の家はそういう家だったけど、周りにそんなの探す方が無理、って思ってたので*2、東京の、うちの大学レベルでも結構こういう人ばっかりで、むしろ私が小学校や中学校の時に体験した「低学歴の世界」など知らない純度100%の人の多さに驚愕しました。うちの大学ですらそうだったのですが、東大に進学した同級生に聞いたらもっとでした。ちょっとびっくりするレベルで、「高学歴の世界」の中でもとびっきりでした。
なお、こちらのエントリの方と私がちょっと違うのは、この「低学歴の世界」の体験の有無、あるいは肌感覚的な理解について、「この溝は超えたことがあるものにしか実感できないんだろうなと思うし、実感しても人生にいいことはあまりない。」と書いていらっしゃるのですが、私はそうは思わないってことです。「高学歴の世界」しか知らない人は、「高学歴の世界」の人としか基本的には付き合えません。そして、就職する組織にもよりますが、労働集約型産業のやたらと数多い従業員とか、生命保険のおばさんセールスとか、あるいは地方議会の議員とかのような「低学歴の世界」とうまく付き合わないといけないお仕事というのは、結構たくさんあります。「高学歴の世界」の極地にあるような「官僚」のお仕事でも、地域住民との調整とか議員との調整はどうしてもついてくると聞きます。このときに「低学歴の世界」を知らない人が十分な仕事をできるでしょうか。それは難しいと思います。
今の日本社会で仕事をするうえで、この「低学歴の世界」とのお付き合いは、「高学歴の世界」の人にとっても、避けて通れない場合が多いです。特に、その仕事をする組織が、有力で大きい組織であればあるほど。だから、「低学歴の世界」を早い時期に垣間見ておくのは、それはそれで意義あることだと思いますし、銀行とか証券会社とかメーカーとかが、採用した大卒社員を、どんなにエリート候補でもいったんは現場に出すのは、要は、その「低学歴の世界」を若いうちに見て来いってことだと、私は理解しています。