「公共の利益」という概念に基づいてデザインされた社会ではたいていの場合、個人 は全体よりも重要ではなく、機械の中のただの交換可能な一部品でしかなく、より大きな全体に対する犠牲を払い、その人間性を失っているものと見なされてい る。太平洋戦争終戦直前の数日、沖縄の一般の人々と、沖縄に駐屯していた何万人もの日本兵を犠牲にするという決断が下された。回避不可能であった日本帝国 の敗退を防ぐための、失敗に終わった試みだった。だが、この出来事に匹敵するほど恐ろしいことは、沖縄で起こったことは、福島の災害に対する対応とほとん ど変わりがないということだ。何千人もの日本の男性、女性、子供達が、原子力産業、株式会社日本、そして日本経済全体に比べれば、重要ではないと見なされ ているのである。