“1.あなたは人間であって全知全能の神様ではない
「できれば何でもこよなくこなしたい」「失敗した時の敗北感は味わいたくない」と誰もが強く願うもの。しかし同時にそれが、全知全能の神様でも無い限り不可能であることも事実。むしろ失敗、欠点こそが個々の特性(個性)を形成する要素ともいえる。失敗は自分がまだ生きていて、何か新しいことに挑戦したかった証でもあり、その失敗から学ぶことも多い。
2.日記をつけてみる
日々の生活において自分自身を振り返れば、実に多種多彩な行動をしているもの。他人が自分を見て知っているより何倍、何十倍も多くのことを実行に移し、同時に失敗している。家の鍵をかけ忘れたかもしれないと、家を出てから数分歩いた後で思い返し家に帰り確認したこと。お風呂のお湯をちょっとだけ沸かし過ぎてしまったこと。焼そばを作ろうと思っていたのに、キャベツの買い置きを切らしていたこと。天気が良いのに布団を干し忘れてしまったこと。ついタンスの角に足の指をぶつけてしまったこと。もっともっと細かい事で、失敗(という大げさな表現よりも「ミス」「ヘマ」のレベル)をしているはずだ。
それらを覚えている限り、日記につけてみる。その際に2つのポイント「なぜそれが起きたのか」「それによって何か得られるものがあるのか」を思い返し、洞察し、付け加えるのを忘れないように。次に同じようなことをしてしまいそうになった時、その経験から同じ失敗を繰り返す可能性を減らすことができるだろう。
3.失敗を受け入れる
自分がヘマをやらかした状況を否定し、受け入れないことは、自分自身の否定にもつながる。現実を見つめ、失敗した状況を受け入れて順応してこそ、次のステップを踏み出すことができる。
例えば料理の最中に卵を落としてしまった場合、「何も見なかったことにしよう」とばかりに足で落ちた卵を脇においやってしまえば、それは間もなく腐り、悪臭の元となり、「黒い悪魔」を呼び寄せるエサとなるに違いない。「卵を落として床を汚した」「卵を一つムダにしてしまった」という自分の失敗を認めて床を掃除してこそ、料理を続けることができる。
4.助けを求める
誰もが失敗をするものであり、その失敗は世界で唯一自分一人のものではない。失敗談が多くの人によって語られ、同情を集めやすいのも、「失敗経験を共有し、同時に助けを求めたい・助けたい」という相互援助の志からくるものである(もちろん人によっては「同情」は優越感を得るための場合もある)。あるいは失敗した他人の姿に、かつての自分自身の姿を投影しているのかもしれない。
自分が失敗をしてしまったとしても、かつて似たような場面で失敗した他人に手を差しのべていれば、誰かがきっと同じような救いの手を差し伸べてくれるに違いない。
5.失敗の価値を見出す
失敗でどんなに深い失墜の底に追いやられても、そこでしか得られないような貴重な経験・情報が存在する。次のような格言・ことわざもその事実を表している一例だ。
・夜明け前が深い闇に閉ざされる(It’s always darkest before the dawn.)。
・生きてさえいればどんな経験でも自分自身を強くするものとなる(What doesn’t kill you only makes you stronger.)。
・主がドアを閉める時、主は窓を開けるものだ(When God closes a door He opens a window.)。
・価値の無いトラブルなど無い(There are no accidents without value.)。
成功も失敗もどんな出来事でも、何らかの価値があるというものだ。”