“今年の春のことだ。長男も幼稚園の最終学年に進級し、渡された年間行事表にはさまざまなイベント計画が記されていた。子供も親も大忙し。ましてや担任の先生の大変さも。そんなことをぼんやりと考えながら懇談会から帰ろうとしていると、とある母親グループから声をかけられた。 「ねえ、担任の先生、ポンだって知ってた?」 まったくの意味不明な用語! 聞いてみると、「ポン」とは妊娠したことらしいのだ。「腹ポン」とも言うらしい。最初からそういってもらえれば予想もできただろうに。いや、わざわざそんな名前で呼ぶこと自体おかしいの

“今年の春のことだ。長男も幼稚園の最終学年に進級し、渡された年間行事表にはさまざまなイベント計画が記されていた。子供も親も大忙し。ましてや担任の先生の大変さも。そんなことをぼんやりと考えながら懇談会から帰ろうとしていると、とある母親グループから声をかけられた。
「ねえ、担任の先生、ポンだって知ってた?」
まったくの意味不明な用語! 聞いてみると、「ポン」とは妊娠したことらしいのだ。「腹ポン」とも言うらしい。最初からそういってもらえれば予想もできただろうに。いや、わざわざそんな名前で呼ぶこと自体おかしいのだが。それは幼稚園という教育機関での“事件”なのであり、割合は定かではないが、よく思わない母親たちがいるのである。
 その母親たちの言葉は、まず、通常行われるべき保育活動を自分の子供が受けることができるだろうかという心配である。
「年長(最終学年)の担任が途中で交代されたら子供がかわいそうだ。」
「体調不良で突然休まれたりしたら困る。」
「体操や外遊びなど、体を動かすような時間に耐えられるのだろうか?」
 まあ、ここまでは許すとしよう。副担任という立場の先生もいることだから、無理がある場合は代わってもらえるだろう。しかし、ここは話し好きの皆さんである。次第に先生が許せないという話に変わってくるのだ。
「昨年結婚したのだから、どうして今年、担任を任せたのかしら? 妊娠するリスクは考えなかったのかしら?」
「どうして(幼稚園は)結婚した時点で辞めさせなかったのかしら?」
「結婚しても仕事を続けたいのだったら、どうして妊娠してしまったのかしら?」
「子供たちを預かっているという自覚がないのよ。先生であるという自覚がないのよ。」
 ここまでくると、企業のオヤジたちが女性社員に言い放つ言葉と同じなのだ。そう、幼稚園の経営者とは実際の経営者と、そして母親たちなのだ。母親たちというのは、発言権がある。幼稚園側は母親たちの意見を尊重する。私立であるからか、評判が悪くなることを恐れている。だから権利を保障されている母親たちは声を荒げてこう言うのだ。
「出産を選ぶなら辞めなさいよ。担任を続けるなら堕ろしなさいよ!」
 それからの出来事といえば、予想通り。母親たちは電話や手紙などで不満を訴え続けた。園長に直接言いに行った母親もいたらしい。そんなすったもんだの末、1学期終了の日に突然、担任の先生が退職することが文書で伝えられた。文書には「子育てに専念するために退職」と書いてあったが、もちろんそんなことは嘘だろう。本当に子育てに専念できるといううれしさの中にあるなら、泣きはらしたような目で子供たちを送り出したりしないだろう。お迎え組みのある母親が子供を引き取りながら声をかける。
「今までありがとうございました。お体大切に~。」
 担任は「ありがとうございました」と頭を下げたが、言葉の最後が声にならない。当然、笑ってもいない。涙をこらえる彼女を見たら、これが悔しさでなくてなんだろうと思う。きっと彼女はどの母親が意見を言ったのかを知っているだろう。でも、そんな母親たちにも頭を下げるのだ。担任を追い出すことに成功し、白々しくねぎらいの言葉をかける母親にだ。
「先生は子供を産んで育てるためにこの学園を辞めます」
と子供たちに説明した。幼稚園が子供たちに“女は妊娠したら仕事を辞めるものだ”と教えてしまった。そして、ありがとうの言葉と共に、拍手をおくったのだ。退職に追い込まれた彼女に拍手ということだ!
 この幼稚園には育児休業取得の実績があるが、幼稚園側は母親たちの非難から彼女を守りきれなかった。私立幼稚園の高額な授業料を支払えるくらいに余裕があり、時期にかかわらず自由に子供を産むことができた女たちが、これからお金も必要で、仕事を続けたいと考えていた彼女を突き落とした。私は自由もでいいけど、あなたはだめよと。
 この一件で、思い出したことがあった。中学のころ、ある女性教師が妊娠し子育てに専念するために退職したことだ。全体集会でそんなことを説明され、彼女は言葉につまりながらも涙を流しながら頭を下げた。それほど幸せそうな感じはしていなかった。部活の担当の先生だったから、「しばらく離れるのが寂しいから」だとみんなが思っていた。私たちはまた戻ってくるものだと思ったから、みんなで「また戻ってきてください」と花束を渡した。先生は、「もう、戻ってくることはないの」と言った。そのころは、妊娠と退職の意味を知らなかった。誰かが教師を続けさせることを阻んだのだろう。この先生も、きっと悔しかったのだと思う。今更だけど。 ”