女性手帳を配布して出産を多くしたい人たちのことがニュースで話題になっていた
こういうことも「日本の国」がやればいいのではないかという話が出てしまうくらい
日本は「国」に依存している
自分たちの子孫を絶やしたくないというなら
地域や職域や、あるいは宗教の単位で、もっというなら家族の中で、
それぞれが考えるところを話しあえばいいのであって
それを拒絶する自由も保証されるようでありたい
しかし国単位でやってしまうと税金を使うことになり
あるいは公教育を利用することになる
そうなると人間は間違うこともあるものなのだから
危険である
そうではなくてたとえば地域の集まりとか宗教の集まりとかで
勝手に主張し、反対ならば募金しないとか、集団から離れるとか、自由でありたい
ーー
とは言うものの、子供を産む産まないについては、カトリックのように、
妊娠のためのセックスだけが正しい、中絶はダメ、
極端に言えば排卵日とその前後を含めて3日だけセックスOK、あとは禁欲日、
そんな風に決めて教育し続ける団体が
100年後とか1000年後には生き残るに決まっているだろう
(そして多分、現実には10人に一人くらいは、その原則に反した性行為による子供が混じっているのだろう)
だからこの件に関しては、どんなことを決めてもいいし、どんなことをしてもいいと思う、
生き残るのは誰か、きちんと進化論の原則で決まるのだから
200年後のことなんか関係ない、自己実現が大事とだとか、人権のためにとか、
それはそれでいいだろう、立派な考え方で、尊重されるべきだ
だから「国」で決めて強制したり、税金を使ったりすべきではない
51対49で決まったら49人も従えという話ではないだろう
51人は何も決議しないでもいいから
自分たちで率先して行えばいいだけだ
200年後には49人の子孫はいないのだ
ーー
世俗の倫理とか、宗教的な戒律とか、考え方は、
その世界の文明の基礎条件により大きく異る
たとえば、出産のことで言えば、衛生状態、栄養、医療環境、貧困に大きく影響を受ける
何が幸せであるかについても同様である
ハンス・キュングが文明の変化と宗教の変化について関係付けて見せたが
それと同じ明快な話である
豊かな社会にはそれなりの適合した倫理がある
ーー
難しいのは、医療の進歩がさらに難しい倫理的決断を人類に求めることになるだろうということだ
悩むのは後でいいし、
そのときどきで適当に決まっていくだろう
そのせいで苦しむのならそれもまた仕方のないことだ
ーー
障害のある子供に接していて、とても可愛い
実際にその母親をやってみると可愛いだけでは済まされない厳しい現実があるのだが
週に一回だけ遊ぶのは楽しい
たったこれだけのことでも、立場により、条件により、感じ方も、考え方も、
大きく異なることが分かる
ーー
国にきちんと決めてほしい、国にきちんと保証してほしいという人達がいるのだが
さてどんなものだろうか
円安で燃料代が上がり、漁船を出しても儲けが少なくなったので、それを国に補償して欲しいとデモを
している人たちがいたそうだ
そのようにして儲ける方法もあるということだろうが
デモをしたほうが経済効率がいいと判断したのだろうか