“ ところで、一番食いつきたいところは実はここなのである。というのも、欧州では「階級の高いところではそれにふさわしいサービスが受けられる」という裏には「階級の高い人は、階級の高いなりの振る舞いが求められる」という前提があるからだ。振る舞いとは例えば身なり服装であったり、仕草や言葉であったりだが、店員に対しての態度もそうだからだ。 階級の高い人は身なりがきちんとしているし、丁寧な言葉遣いを心がける。サービスが良ければチップを払う。かりにサービスレベルがいまいちだったとしても、店員相手であろうと暴言を吐いた

ところで、一番食いつきたいところは実はここなのである。というのも、欧州では「階級の高いところではそれにふさわしいサービスが受けられる」という裏には「階級の高い人は、階級の高いなりの振る舞いが求められる」という前提があるからだ。振る舞いとは例えば身なり服装であったり、仕草や言葉であったりだが、店員に対しての態度もそうだからだ。
階級の高い人は身なりがきちんとしているし、丁寧な言葉遣いを心がける。サービスが良ければチップを払う。かりにサービスレベルがいまいちだったとしても、店員相手であろうと暴言を吐いたりしないし、失礼な仕草で呼び止めたりせず、それ相応のやんわりとした立場の示し方がある。高いホスピタリティを受けられる階級にいる人には、それなりの義務も課されているのである。
この対称性は、ホスピタリティの高い社会を持続させるために非常に重要なポイントだと思われる。態度の良い店員は、みんながみんな良い給料をもらっている訳じゃない。しかしながら、例えばレストランのウェイターは名誉な技能職であると見なされているわけで、欧州で、一部だけにしろそういう社会が存続しているのは、やはりお互いにそのような合意ができていたからではないだろうかと考えずには居られない。
翻って日本はどうだろう。日本には確かに高いホスピタリティというのはあるが、この種の対称性を客側に強制するルールというのは実は無いように思われる。サービスを提供する側はおおむね高い方に偏ったが、客の方はあくまで個人に任されている。態度のいい人もいるし、暴言を吐いて理不尽に店員に頭を下げさせる人も見たことがある。
態度の悪い客が日本の素晴らしいサービス業の最大の敵 

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たしかに、大衆化社会の難点ではある
しかしながら、それも人間というものの性質なのだと、
一段高い視点から眺めていたいものだ