医学史上の折衷主義

医学史上の折衷主義
という話題があり、読んでみるとなるほどと思う

色々な考え方もあり、立場もあり、それぞれの時代でいくつかの流派が存在するのも
人間の社会というものである

そんな中で、ひとつの流派に固執せず、柔軟に、それぞれのいいところを採用したらいいでしょう
と考えるのも無理はない

それぞれの流派の提唱者から見れば
原理原則というものがあるので
折衷などというものには我慢ができないはずであるが
実際に現場で患者さんを目の前にして何とかしようという場合には
折衷主義も考えられる

それぞれ対立する意見を聞いて、
それらを統合する原理を見出せば、それが一番合理的ではないかと考えられるわけだ
しかしそうした、一段高い次元での統合理論というものはなかなか難しい

折衷するというからには対立があったわけで
それを歴史的に言うと次のようなものがあげられている

1.アロパチーとホメオパチー
これは異種療法と同種療法の対立で、
たとえば、発熱しているときに冷却するのが異種療法で
逆に体があたたまるようにするのが同種療法である
学会レベルではすでに昔のものと考えられているが
最近も話題になっていた
代替医学の話題になるといつも背景にあるという感じらしい
日本ではあまり馴染みがないので
古いと言うよりは新しい印象があるのではないかと思う

2.生物学主義と精神分析
アメリカ精神医学を舞台として考えると
20世紀に精神分析主義が大流行し、最近はすっかり生物学主義に変化した
しかし、20世紀の終わりのあたりでは
衰えつつある精神分析主義と興隆しつつある生物学主義(つまりは精神薬理学)が
奇妙な具合にブレンドされた時期があった
ブレンドして使っていた治療者としては「原理的に相容れない」という気分は全くなくて
使えるものはなんでも使えばいいという気分だろう
しかし病気の原因は何か、そしてそれに対する最適な治療は何かと考えると、
そのような奇妙な折衷には疑問を抱くはずであろう

3.単剤主義と多剤併用主義
薬剤を使用する場合に単剤主義が主張されるのが常である
病気の原因に対して最も効果的な単一薬剤を使うのがよいと教科書で繰り返し書かれている
しかし現実には多剤併用主義も根強い
たとえばドパミンD2レセプターに対する遮断効果で考えると、
いろいろな薬剤を使えば副作用が減らせるという現実もある
また一方で、効果が思ったように出ない場合に、どの薬剤が悪いのかの判定が難しいので
単剤で薬効を検証すべきであるとの考えもある
その上を行って、多剤併用によって、各薬剤の副作用を打ち消し合わせる処方もある

4.各種精神療法の併用
これは薬剤の場合の併用に比較して検証が何倍も困難である
第一には各種精神療法の施行において、正確にその精神療法を施行しているのか、
確証が得られない
精神分析が退潮して、現代は認知行動療法の時代になっていて、
過去の精神療法のいろいろな要素が認知行動療法の構成要素として統合されている
そうなると、何が認知行動療法かというよりも、
何が認知行動療法ではないかを指定することが難しいような具合である
また、こけはアメリカでの潮流であるが、対人関係療法が認知行動療法と並ぶ、
エビデンスのある精神療法ということにされているのであるが、
これは多分に政治的な要素があって、評価が難しい
評価にあたって、統計数字だけではなく、原理原則から考えたいと思うのだが、
その原理原則を提示しないという不思議さである
さらに精神療法は普通、プライバシーを保持した上での治療であるから、
実際に厳密に何をしたのかの検証が難しい
治療というものは検証のためにするのではないから、それはそれでよいのだけれども、
その先を一歩、という場合にはなかなか難しくなる

3.薬剤と認知行動療法の併用
認知行動療法は薬剤を否定したりはしていないので当然のように併用するのであるが
たとえば抑うつの場合、うつの基底には認知の問題があり、自動思考があるとかいうのだが
薬剤はセロトニンコントロールの薬で、認知の薬ではない
そのあたりはよい折衷主義というのかどうか

4.漢方薬との併用
これは日本で言えば漢方薬、整体、鍼灸、アメリカその他ではその地方特有の代替療法ということになる
たとえばハーブ、バッチフラワー、カイロプラクティック、おまじない、お祈り、道徳療法、まあ、いろいろとなんでもある
現代ではこれに経済活動が密接に関わっており、高価なほどありがたがられる面もある
値段設定は対象者を指定するのに役立つといえるだろう
漢方薬に戻ると、漢方薬と西洋薬の併用、さらには精神療法の併用は、いろいろな理屈があるのだが、
現状では、漢方特有の原理原則を主張しつつ、西洋薬の原理にそって効果を説明したりと、
難しい綱渡りをしている感じがする 

5.ストレス脆弱性仮説
これは遺伝的又は後天的な脆弱性が用意された上にストレスが加わり、精神病が発症するという仮説で
実に折衷的である
Biop-sycho-social な仮説というにふさわしい、全部盛りつけた考え方であり、
説明されると、実に説得力に富む
しかしその説得力がじつは怪しいというのが最近の反省である

6.統合理論は難しい
各種薬剤、各種精神療法、各種漢方薬、各種代替療法と揃っているのだから、
それらを活用し、どの患者さんのどの時期にはどの組み合わせがいいか、統合する理論が出来てもよさそうである
しかし現実にはそれぞれの場所で実践的に経験が蓄えられているだけで統合理論と言うまでは行かない
各種薬剤にしても、治療者側の経験がそれほど蓄えられることもなく、
比較的早急にマーケットで入れ替わりが生じている
また精神療法について言えば、それぞれの流派に熟達した人材を揃えて活用することも困難である
自在に組み合わせるなどということは現実には難しい

7.エビデンスは折衷の原理的矛盾を許容する
ただ統計処理をしているだけだから仕方がない

8.一般システム理論
一般システム理論もまた、折衷主義の一例として挙げられている。
その具体例としてては次のような記事が参考になる。

家族療法(かぞくりょうほう;Family Therapy)とは、家族を対象とした心理療法の総称。家族療法は、様々な治療効果研究の複合体であるが、次第に、一般システム理論の視点が取り入れられるようになり、現在では一般システム理論に基づいた(システムズ・アプローチという)家族療法が主流となっている。
システムズアプローチによる家族療法では、家族を、個々の成員が互いに影響を与えあうひとつのシステムとして考える。そのため、家族成員に生じた問題は、単一の原因に起因するものではなく、互いに影響を与え合う中で、問題を維持する原因と結果の悪循環を描いていると考えていく。そこで、問題を抱えた家族成員を、従来のクライエントという呼び方ではなく、家族を代表して問題を表現している人という意味で、IP(Identified Patient;患者と見なされた人)と呼ぶ。
ここではBiologyでもなく、Psychologyでもなく、Sociologyの次元で解釈している。この高次のものを低次のものに還元することはできない。全体は部分の総和以上のものである。

家族の場合にはメンバーが入れ替わることは少ないと思うが、
会社では今日4月1日のように、メンバーの入れ替わりが定期的にあることが多い
そのたびにシステムは更新されて、病む人も更新される