第25章 クラスターCの治療の手がかり

第25章 クラスターCの治療の手がかり

ポイント
・クラスターCには回避性、依存性、強迫性パーソナリティ障害が含まれる。
・クラスターCの患者は恐怖を感じ、不安である。
・クラスター分けの根拠には限界がある。厳密に検証されたものではない。
・身体病がクラスターCを引き起こすことがあるので除外診断が必要である。

母が死んだら私も一緒にお墓に入ります。
—–依存性パーソナリティ障害患者。母が死んだらどうするかと尋ねられて。

クラスターCの人は対人関係での過剰な恐怖、抑制、不安がある。古典的な研究では幼稚園に行く前の子供をマジックミラー越しに観察する。子供たちは観察されていることを知らない。このような早期の段階であっても、潜在的にクラスターCの子供は孤立して、部屋の隅で遊び、他の子どもと遊ぶことを恐れている。もっと普通の子供は部屋の真中でお互いに他人と関係しながら遊ぶ。こうした抑制的な人格傾向は発達の早期に見られ、その後人生を通じて安定して観察される。不安な気質は回避性または依存性パーソナリティ障害につながる。クラスターCの人は家族メンバーにしがみつき、自分の行動に自信がない。強迫性パーソナリティ障害患者は、おそらく子供の頃から働きもので感情抑制し、完璧癖がある。しかしこれが本当かどうかを確認する研究はまだ実行されていない。
回避性パーソナリティ障害では批評されたり社交場面で拒絶されたりすることに極端な恐怖を抱いている。恥ずかしがりで、物静かで、抑制的な傾向がある。他人に反抗することを恐れている。一方で依存性パーソナリティ障害では、他者からの世話を得たいと過剰なほどに切望している。依存的な人たちもまた不安が強く恐怖があるのだが、彼らは他人に頼ることで不安を解消しようとする。
強迫性パーソナリティ障害では、患者は対人関係コントロールと秩序と完璧に心を占められている。彼らはコントロールを失うことを恐れているので、容易には他人と一緒に仕事をすることができないし、他人に従うこともできない。
脳の構造としては不安と恐怖に関して最もしばしば言及されるのが扁桃体である。この部分で恐怖刺激に反応し、感情が記憶と結合している。
クラスターC患者はすべてを犠牲にして「害を回避する」ことを望む。彼らは他の人が害を及ぼすかどうかを見る。新しい状況と新しい仕事に恐怖を覚える。これらは「害の回避」のパーソナリティ・ディメンジョンを持っていることを示している。これらの患者はずっと安定していたいと望む傾向にある。

キーポイント
パーソナリティ障害をクラスター分類することは、これらを分類するひとつの方法にすぎない。パーソナリティ障害の全般を見渡すには限界がある。

クラスター分類の妥当性については検証されていないし、多くの医師はこの見方に関して懐疑的である。それにも充分な理由がある。研究者はそれぞれの分野で診断分類の妥当性について検証する必要がある。このことはクラスターCではまだ実行されていない。多くの研究はクラスターBに関してのもので、特に境界性パーソナリティ障害についての研究が先行している。

クラスターCの診断にあたって特に重要なのが身体病の除外である。回避性パーソナリティ障害ではアルコールやマリファナを使用する場合があり、それらは他人からのひきこもりの原因になる。依存性パーソナリティ障害ではてんかん、糖尿病、メタボリック・シンドローム、その他の身体病が存在することがあり、それらの身体病のせいで、彼らは人生の最初から他者に過度に依存することになる。これらの患者の多くでは、たとえ可能であったとしても、自立の訓練はされたことがない。
強迫性パーソナリティ障害では、コカイン中毒やトゥレット症候群、その他の身体病があることがあり、過度に良心的になり柔軟性をなくしていることがある。

症例スケッチ

患者は56歳の主婦、結婚して34年になる。彼女は一人暮らしをしたこともないし、家の外で働いたこともない。
4年の間うつ病の消長を繰り返し、夫が彼女を一人にするなら自殺すると家族に話したので、治療が始まった。
夫は58歳の弁護士で結婚期間を通じて妻と二人の息子を支えてきた。彼自身が重症うつ病で入院することになってとうとう離婚を決意した。精神療法を通して、家族全体の唯一の養い手としての自分の立場を悔やんでいることを認識した。退院してすぐ彼は妻に離婚書類を手渡した。

妻は困惑した。1週間後、二人の息子によれば、彼女が家に閉じこもり、食事、洗濯など普段の活動が何もできなくなっていた。彼女が望んだことは眠ることだけ、起きた時は彼女は泣いて運命を嘆いた。彼女が自殺を図ろうとした時、息子たちは警官を呼んだ。警官は彼女を救急施設に運び、そこから精神科のうつ病病棟に入院になった。
前回の入院時に患者はたいていの抗うつ薬を試していて、唯一効果があったのはMAOIのNardilだった。
病院ではEffecxor 300mgが投与され、2週間後に退院となった。
退院後に精神療法が始まった。最初の面接の時、彼女は軽装で小奇麗にして年齢相応に見えた。初回面接の間中泣いていたので何も話せなかった。彼女はもう入院はしたくないと訴えた。彼女の入院生活はそれほどの恐怖だった。夫は日常の細かいことまですべて指示していた。どのパスタがいいとかどのファンドに投資するとか。その後のどの面接でも夫を失うことをヒステリックに泣くことから始めた。夫なしでどのように生きて行ったらよいか分からなかったからだ。夫が役割を変更して以来、彼女は息子たちに責任を引き受けて欲しいと願っていた。
治療方針としては彼女に自分のことを自分で決めるように導こうとしたが彼女は抵抗した。そもそも夫が彼女にとって魅力的だったのは支配的で取り仕切る性格だったからだ。妻には意見を述べる余地はなかった。そして彼女はランチのお店はどこがいいか心配していればよかった。いま一時的に収入が減らされてしまい、贅沢品、マニキュア、デザイナー・ドレス、ヘアー・ドレッサーなしでどうやって生き延びたらいいのか途方に暮れていた。息子たちは離婚協議が終結したら、かなりの財産を得て働く必要はないと保証した。
彼女の一番苦しい時間は朝で、孤独で非常に不快だった。自分のことを自分で決めることがどうしてもできなかった。コンピュータの講座で学ぶことが提案されたが、それは彼女は携帯電話さえ操作できなかったからである。大学では全Aで経営学部を抜群の成績で卒業していた。知能指数は平均より高かったのに自分を高めようとする努力はしなかった。夫と息子と友人に全てを頼っていた。女性の友人が一緒に行ってくれると言ったので、コンピュータのコースを受講することにやっと同意した。
精神療法は彼女に時間の使い方を教え、生活の基本技術を教えることに費やされた。彼女は平日にはセットされた時間に起きて、朝食を取り、講義に出て、ジムに行き、ランチかディナーを誰か友人と食べた。働く必要のない羨ましい生活であったが、彼女は自分がどれだけ幸運か理解していなかった。彼女は依然として自分で何かするのは気が進まなかった。自分の能力に自信がなかったのだ。彼女は夫との離婚問題を片付けないうちに別の関係に飛び込みたいと思った。誰か他の人にすぐに支援してもらい子供のように保護して欲しかった。その事から彼女は自分の過剰な依存性に気がついた。

ディスカッション

治療で、患者は、夫がこれまで果たしていた役割りの部分に精神科医を置こうとした。精神科医に大切な決断をしてもらいたかったし、何をすべきか言って欲しかった。医師はその役割りは引き受けず、代わりに、自分で決める試みに導いた。彼女の自信を構築する必要があった。彼女には自分で責任を取る経験が必要だった。彼女の父は彼女が10歳の時に死んだ。父と彼女は仲が良かったので、それは深刻な喪失体験だった。祖母が父の代わりに彼女と母親に指図するようになった。彼女も母親も赤ん坊のように扱われて、自分一人では何もできなかった。
明らかに患者は依存性パーソナリティ障害であり大うつ病であった。
他人が離れていってしまうのではないかと恐れて怒ることができなかった。幼い頃に父親が死んだ時、父親に見捨てられたと感じたように、人にも見捨てられるのではないかと思うと怒ることが怖かった。
夫が去っていった時、それは悲劇的で、新しい考え方や行動を始めることは困難だった。

2013-03-27 19:51