プラートの苦難

 プラートはイタリア北部の人口18万人ほどの町である。   700年以上もヨーロッパの織物業の中心地として栄え、アル   マーニ、プラダ、グッチなど高級ブランド企業がここで買いつ   けを行ってきた。
    中央広場のごつごつとした石畳、壮麗な大聖堂、赤茶色の屋   根の続く街並み、遠くの低い緑の丘、、、いかにもイタリアの   古都らしい情景である。
    しかし、西の町外れだけが別世界となっている。窓に漢字が   書かれた美容院、漢方薬の店、ネオン輝く娯楽クラブなど、ま   るで中国の街並だ。プラートの人口18万人のうち、いまや中   国人が2万人を占めている。
    彼らは初めは外人労働力として、プラートの伝統企業に雇わ   れていたのだが、技術を習得すると独立していった。プラート   の商工会議所に登録された中国人経営の企業は1992年の212社か   ら、2003年には1753社へと急増した。
    これらの会社は中国本国に大規模な製造工場を造り、低賃金   労働力を武器として、高級ブランド企業の注文を奪い始めた。   デザインだけプラートで行い、製造そのものは中国で行う。そ   の完成品に高級ブランドのラベルを縫いつける仕事だけがプラ   ートで行われる。
    そのコスト競争力に押されて、2000年に6千社もあった伝統的   なイタリア人経営の中小企業は、2005年には3千社を切ってい   た。700年の織物工業の歴史が、いまや断絶の危機に瀕して   いる。市当局には打つ手が見つからないようだ。
■2.黄の冒険■
     プラートに住む中国人の多くは、不法入国でやってきた。そ    のうちの一人、黄の冒険譚は次のようなものだ。
     黄の父親は福建省でスッポンを養殖し、日本に輸出して稼い    でいた。しかし、日本のバブル崩壊で需要が減ると、スッポン    の価格が暴落し、養殖事業は躓(つまず)いた。父親は不法な    地下銀行から金を借りていたが、支払い不能に陥ると、刑務所    を兼ねている市庁舎の地下に監禁された。不法な地下銀行は、    地方政府が経営していたのである。
     黄に残された手段は、妻と息子をおいて、海外に出稼ぎに出    ることだった。地下銀行と交渉して、金を借り増し、犯罪組織    「蛇頭」にヨーロッパへの密入国を依頼した。地下銀行は返済    ができなければ、黄の親戚一同の財産を差し押さえるという条    件で金を貸してくれた。
    「蛇頭」は黄に出国印の押された偽造パスポートを渡し、北京    からロシアに向かう貨物列車に潜り込ませた。モスクワの手前    で、列車から飛び降り、迎えに来た白いバンに乗せられた。そ    こから車や貨物船を乗り継いで、なんとかイタリアに上陸でき    た。そしてミラノを振り出しに、掃除や食器洗い、荷物運びな    どの単純作業を続けながら、4年間、ボローニャ、ローマを転    々とし、プラートまでやってきたのだった。
     プラートでの中国人労働者の典型的な賃金は、1日10数時    間働いて月600ユーロ(約9万円)。生活を切り詰めてなん    とか黄は父親の負債の返済を始め、父親はようやく解放された。    4年で返済を終えたが、黄はまだ妻と子供の元には帰れない。    15歳の息子の教育費を払うためだ。
■3.プラートの栄華と没落■         黄のような不法入国者がプラートにやってきたのは、1980年    代の半ばからだった。プラートの子供たちはまるで宇宙人でも    見るかのように、中国人を眺めた。当時は人数も少なく、すぐ    に町の織物工場で雇われた。
     90年代の前半には中国人労働者は1万人に増えた。床の掃    除や、ラベルの縫いつけ、織物の裁断など、低賃金にも関わら    ず、長時間を不満も言わずに働いた。その中から熟練工も育っ    ていった。さらに一部の中国人たちは母国から安い糸や布を仕    入れて、プラートのイタリア企業に供給するビジネスも始めた。
     安価な中国人労働力と中国産原料を使うことで、プラートの    企業のコストは下がり、大いに潤った。地方政府は喜んで、移    民サービスセンターを設置し、不法でも構わずイタリアに渡っ    てきた中国人の世話をした。
     しかし、そんな蜜月時代は長く続かなかった。中国人工員た    ちは何年か勤めて技術を得ると、会社を辞めて独立する。ぼろ    を着た出稼ぎ労働者が、いかにして工場を辞めた翌週に元ボス    の競争相手となったか、という記事が地元紙の商業面を賑わせ    た。
     まだ20代の女性起業家・王一華もその一人だ。王も蛇頭の    手引きで19歳にしてイタリアに不法入国した。いまでは中国    人の工員とイタリア人のデザイナーを雇う「グレート・ファッ    ション」という企業の代表におさまった。フォルクスワーゲン    に乗り、高級なサングラスをかけ、流暢なイタリア語を話す女    性起業家である。    ■4.同じ苦難はコモ、ビエッラ、モンテベルーナにも■
     プラートを襲った苦難は、イタリアの伝統的産業に支えられ    てきた都市に共通の運命である。
     北部の美しい湖畔の町コモは、古代ローマ時代から絹織物の    中心地だった。20年ほど前に中国の絹産業が復活すると、中    国産の絹糸のほうが、コモのものよりも安くて、品質も大差な    いことが明らかになった。さらに、安い労働力目当てに紡績と    製織の作業が中国に外注されるようになった。
     そのうちに浙江省の企業が、コモで使われているコンピュー    タ制御の織機を導入した。これを昼夜動かすことで、この企業    は数年のうちにコモの伝統的企業を次々と廃業に追い込みだし    た。7年でこの地域でのコンピュータ制御の織機の数は670    台にまで急増し、世界の絹ネクタイのほぼ半分を生産するよう    になった。
     今やコモの伝統的企業に残された競争力はデザインだけだ。    しかし、それも風前の灯火である。浙江省のネクタイメーカー    の最大手「巴貝(パペイ)」は、輸出した絹物の支払いが困難    になったイタリア企業から、代金と相殺にデザイン工房を譲り    受けた。膨大なデザイン見本帳とイタリア人デザイナーを手に    入れて、優れたイタリアン・デザインのネクタイを年間2千万    本もの生産能力で世界に供給できるようになった。
     フランスとの国境に近い毛織物の町ビエッラでも、中国企業    の攻勢で、13世紀から川沿いに並んでいた工場が次々と閉鎖    に追い込まれている。北東部の町モンテベルーナは登山靴生産    のメッカだったが、安価な外国製品との対抗上、各企業はこぞっ    て生産をルーマニアの工業団地にシフトした。    ■5.イリノイ州ロックフォードの苦難■
     中国企業の攻勢に喘いでいるのは、イタリアの繊維産業など    軽工業分野だけではない。アメリカの機械工業も同様である。
     イリノイ州ロックフォードは見渡す限りの農地に囲まれた典    型的な中西部の町である。ここは19世紀末にインガソルとい    う企業が工作機械の製作工場を設立して以来、アメリカの工作    機械産業の中心地として発展してきた。
     20世紀の幕開けと共に自動車産業が勃興すると、インガソ    ルの工作機はたちまち評判となった。ヘンリー・フォードの大    衆車「T型モデル」の製造にも一役買った。その後も航空機や    戦闘機、原子炉の部品の開発にも参画して、専門技術を蓄積し    ていった。
     こうした中西部の工作機メーカーは、戦争や景気後退、日本    ・韓国メーカーの台頭も乗り切ってきた。しかし、中国企業の    攻勢にとどめをさされつつある。ある統計では、オハイオ州な    ど10州の金属加工業者のうち、2003年5月から翌年9月にか    けて180件の倒産や廃業があった。3日に1件の割合である。    中国の競争相手が前ぶれもなく、3分の1か、それ以下の値段    で売り込みをかけてきたらしい。
■6.ハイエナのような手口■
     こうした倒産や廃業に伴って工場設備が競売にかけられるが、    そうした場にも中国企業が姿を現した。機械設備、設計図、操    作ノウハウを手に入れるためである。自動車などの近代工業や、    軍需産業を興すには、工作機械が重要な役割を果たすので、中    国政府は積極的に先進技術を買いあさるよう国有企業に促して    いる。
     インガソル社も2003年に倒産し、最初に売りに出された自動    車用の工作機械部門は、中国の巨大な国有企業「大連工作機械」    が買収した。数十年かけて蓄積された自動車製造技術の設計図    や工業規格の書類の山が、ただちに中国本社に送られた。
     大連工作機械は次にインガソルの切削機部門も買収しようと    したが、こちらは米政府に阻止された。この部門は米軍からの    注文で、ロケットの燃料タンクの性能を高める技術を開発した    り、B-2ステルス爆撃機がレーダーに映らないようにする素    材を塗る機械を開発していたからだ。
     低価格攻勢でアメリカの工作機メーカーを倒産に追い込み、    競売にかけられた設備や設計図などを買収して技術を手に入れ    る。まさにハイエナのような手口である。    ■7.分断されるアメリカ社会■
     ロックフォードにある「ダイアル・マシン」社は、ここ数年    で従業員70人のうち30人の解雇を余儀なくされていた。同    社のエリック・アンダーバーグはこう語る。
         わが社でずっと働いてきた人たち、家族もよく知ってい        る人たちに、もう仕事はないと告げるのはたまらない気分        です。もはやロックフォードには時給16ドル、17ドル        を稼ぐ熟練工に働き口がないことは誰でもが知っています。
     解雇された熟練工たちの行き場は、ウォールマートなどの安    売り店だ。時給7ドルで年金もない。
     アメリカの国勢調査局によると、アメリカでは所得の中流層    が少なくなっている。2003年に収入2万5千ドル(約290万    円)から7万5千ドル(約870万円)の就労者は減少したが、    それ以下とそれ以上の人は増加した。
     時給16ドルを稼ぐ熟練工が、時給7ドルで年金もない就労    者になる。7万5千ドル(約870万円)以上もの収入がある    階層とは、ウォールマートのように安価な中国製品を大量に販    売して儲ける大規模チェーン店や、中国に生産を外注してコス    トを下げる大手メーカーの経営者、管理者だろう。
     中国企業の攻勢によって、アメリカの中小企業と中産階級は    直撃され、大企業での低賃金労働者と高給取りのスタッフとに    分断されつつある。    ■8.不公正なコスト競争力■
     こうして、世界各地で中国企業は猛威を振るっているが、そ    のコスト競争力は中国政府が政策的に作り出したものだ。この    点を『ファイナンシャル・タイムズ』の元北京支局長ジェーム    ズ・キングは、次のように指摘する。
         中国は、対ドルの通貨価値を割安に固定して、輸出の大        きな競争力としていた。労働者にはほとんど、またはいっ        さい福利厚生を与えないから、原価が人為的に低く抑えら        れている。独立した組合はなく、中国の工場で見てきた安        全基準は、アメリカなら違法ものだった。
         国有銀行は国有企業に低利で融資しているが、あっさり        債務不履行になることもある。中央は輸出業者に対して、        アメリカにはない気前のいい付加価値税の払い戻しを行っ        ている。排ガス規制は手ぬるく、環境保護のための企業負        担は、そのぶん小さい。企業は外国の知的所有権を当然の        ように侵害しているが、法廷が腐敗しているのか中央の支        配下にあるからなのか、起訴はされにくい。最後に、国が        電気や水など、さまざまな資源の価格を人為的に抑えるこ        とで、工業を助成している。[1,p130]
     こうして政策的に作られた不公正なコスト競争力を武器とし    て、中国企業はプラートやロックフォードの中小企業をなぎ倒    してきたのである。
■9.暴走する「世界の工場」■
     1970年代から80年代にかけて日本の工業製品の輸出がアメリ    カの製造業を脅かしたた時も「日本はアンフェアだ」と非難の    声が上がった。現在の中国の製造業がそれを再演しているよう    に見える。
     確かに当初の日本の輸出攻勢は、低賃金・長時間労働、安い    円、政府の保護政策に支えられたものだった。しかし、その後    の日本企業は大きな変貌を遂げた。
     円は変動相場制に移行し、1ドル360円から百数十円程度    へと3倍も上昇した。人件費も高騰し、福利厚生も行き届いて    いる。企業への課税水準も環境規制も世界トップレベルである。    知的所有権に関しても、日本はソニーやパナソニック、シャ    ープ、トヨタやホンダなど、独自の製品で自前のブランドを築    き、そのために膨大な研究開発投資を行ってきた。
     こうした努力で、今日では日本が不公正な競争をしかけてい    る、などと非難する者はいなくなった。しかし、中国の場合は    日本と同じコースを辿ることは難しいだろう。中国共産党が独    裁政権を握っていられるのも、経済成長を続けているからであ    り、そのためには現在の低コスト路線を自転車操業で走り続け    るしかない。
    「世界の工場」は、世界中の資源を吸い込み、煤煙と廃液を吐    き出しながら、安価な(時には有害な)工業製品を洪水のよう    に送り出し、世界中の中小企業をなぎ倒しつつある。そんな    「世界の工場」の暴走を世界はいつまで許すだろうか。                                         

2013-02-17 14:57