専門用語を扱う人ができて、 論理を構築できて、 他人の言説を分解し批判できる人が、 果たして、貧困の側にある人間や 不幸の側にある人間に、本当に共感できるものだろうかと 改めて思ってしまう。 難しいことだ。 青年の頃にはそのような若々しい正義はあるだろう。 しかし、社会で発言権が確保された立場で、 そのような共感を失わないでいることはなんと困難なことだろう。 貧困の側にいて不幸の側にいる人間の代弁をしてくれる人は 誰もいないのだろうと思う。
専門用語を扱う人ができて、論理を構築できて、他人の言説を分解し批判できる人が、果たして、貧困の側にある人間や不幸の側にある人間に、本当に共感できるものだろうかと改めて思ってしまう。難しいことだ。青年の頃にはそのような若々しい正義はあるだろう...