日本語というOSが今後幸せに有効なのか考えてみる必要はある
知り合いは、当然ながらアメリカ語と中国語ということで早期教育を始めている
個人的にはそういう教育は日本語が壊れると思うのでどうかと思うところもある
幸せになるためにどんな言語を主言語にして脳のOSとしたらよいのか
何か根拠のある論議があるものだろうか
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幸せとは関係無さそうであるが速読の技術というものを考えてみる
個人的に思うに、英語やドイツ語、フランス語、その他アルファベットを使う文化や
アラビア語など、みな速読に適さないと思う
速読術が有効なのは、論文などでは速読が有効であるように、予め注意して書いてあるからだろう
大事な文章はここにあるとだいたい見当がつくようになっている
だから小説の速読は難しいと思う(小説を速読しても意味が無いだろうという論はよく分かる)
本屋で立ち読みをして概略を知ることができるのは日本語だと思う
中国語は仔細を知らないので速読がどうかはよくわからないのだが
日本語は漢字、平仮名、カタカナ、時にはアルファベットの単語も使用可能で
比較的脳の処理が早いのではないかと推測する
ハングルは例えて言えば全部平仮名で書いている小学生の国語の本のようなもので
思考のスピードは出ないだろう
もちろん、話し言葉で言えば、どの言葉でも早くできるので、それは比較になりにくい。
正確な思考を伴う言語活動に適しているのはどの言語かという問題である
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商売で言えばもちろん英語で商売をしたほうが有利だし
これから先のことを言えば中国、インド、ブラジルなども視野に入れておいたほうがいいのは確かだろう
そうではなくて
思考の道具としてとか
詩の言葉として
有効なのはどの言語かという問題
言葉はすごくいいのにどんどんだめになる国というのもあるものだろうか
英語とフランス語で言えば
英語のほうがフランス語をどんどん採用しているので有利な感じがする
英語とドイツ語で言えばドイツ語の構築力とか合成語の使用とか、ドイツ語にある程度有利な点があると思う
これは現在のヨーロッパでのドイツの経済的優位に影響されているかもしれないが
ドイツの伝統の中に思考を鍛えた人がとても多かったのは確実だと思う
そのこととドイツ語の使用は関係しているように思う
哲学や文学、科学者の言語使用に有利に働いたのではないかと思う
フロイトとかマルクスとかカント、フッサール、ハイデガー、アインシュタイン、量子力学の人たち
しかしまたドイツ語はナチスの歴史があるので
ドイツ語がどのように優秀なのか、考える必要はあるのだと思う
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日本語の資産として漢詩や漢文があるはずで
過去の偉大な知性は漢語で文章を書いたはずなのだが
現在は日本の古典としては漢字かな交じりの文章が残っていて国語で古典として教えられている
これは端的にナショナリズムの結果だろうと思う
漢詩漢文の作り手としては第一流とはいえなかったというのが事実だろうと思う
もちろんそれで当然だと思う
外国語なのだから
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耳で聞いて意味の伝達の間違いがなく、精密で深い思考が伝えられる言語はなんだろうと思うとよくわからない
やはり話し言葉というものは粗雑になってしまうのだろうと思う