精神分析-5
無意識
精神分析と他の心理学とを区別している第一のものはなんといっても、無意識の概念である。
他の心理学で無意識の概念を使用しているなら、それはフロイトから学んだもので、たとえばユングはその中で最も有名なものだろう。
ユングはフロイトの無意識の概念を継承し、しかも2つの重要な付加的業績がある。
一つは集合的無意識、一つは神秘主義とスピリチャリズムである。
フロイトは個人の意識の無意識を論じたのに対して、ユングは集合的無意識を論じた。
集合的無意識はアルケータイプ・イメージから成り立っている。すべての文化共通のシンボルの体系である。
ユングの場合、神経症は、無意識の内容から過剰に
切り離されたことによって生じる。
また夢分析はアルケータイプの意味を告げている。
ユングは神秘的でありスピリチャルであるが、それは初期の精神分析が無視した要素であって、現代の精神分析は瞑想や東洋宗教と関連させつつ、再研究しつつある。
アドラーはユングと並ぶもう一人のフロイトの継承者である。フロイトは抑圧を中心とした精神内界システムを考え、その一部として、無意識を構想した。
しかしアドラーは人間は自分について実際知っていると思っている以上に、知っているのだと信じていた。
実存分析でもやはり無意識に関心を寄せる。精神分析と同様に考えて、人間は精神内界で無意識の葛藤を経験し、意識から排除された部分があり、それが行動、思考、感情に影響を与えていると論じている。
実存主義者にとってそれは、死や孤独や無意味のような基本的実存的恐怖に対する不安である。その不安に侵食されることから、我々人間を守っているのが、無意識界に排除するというシステムである。
ゲシュタルト療法もまた精神分析から発展したものである。しかし急進的な一派であり、精神分析理論の多くを無視して、非常に構造的で能動的な治療技法を発展させた。
こうした大きな違いにもかかわらず、Fritz Perlsは「無意識を意識へ」という技法が治療的意味を持つと考えていた。
同様に、Morenoのサイコ・ドラマは問題のある対人関係場面を再演することによって、患者が抱いたけれども抑圧してしまった感情を確認し表現することを援助する。
Alvin Mahrerの 体験的心理療法 Experiential Psychotherapy では、精神分析から大きく異なっているが、母性的無意識は個人にとってユニークであり、母性的無意識は深い潜在的人生である。
最後に、家族療法の幾つかの流派では、お互いの関係において各メンバーが特別な役割りを無意識に演じると考えることで問題を解決しようとしている。
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一面では脊髄反射は無意識であり、腱反射は集合的無意識であるとも言えるだろう。