不適応行動の治療-3

現実の問題に対して不適切な対処をしている場合
それは病気なのかどうか
問題になる

病気というものは
障害に対応する物質的構造変化の病理所見があって
はじめて病気と言うべきである

そのような病理所見がないのに
病気と安易に言うべきではない
しかし
障害概念であれば
本人にとって不都合があると言う観点で語ることができる

さてその場合
心理的な次元のことが原因で混乱が生じるものなのか 
あるいは生物学的な次元のことが原因で混乱が生じるものなのか
議論がある

日常体験の延長で言えば
ストレスが引き金となって
抑うつや不安が発生することの方が理解しやすい

しかし実際には
生物学的に病気になる準備がすでにできていて
その上に何かのエピソードがあり
本人としては障害が発生したと自覚できる場合が多いのではないかと私は感じている

疾病の準備性といっていいものは
やはり生物学的なものなのだろう
ストレス脆弱性仮説である

そこにきっかけ、つまり、結晶が析出するきっかけになるような出来事があって
症状は発生する
疾病の準備性(日本語として誠になじまない言葉ではあるが)を自覚することはできないので
それが困ったところだ

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