国際化とか言われているわけですが
日本古典文学を見てみましょう
一時期日本の秀才はこぞって中国語を学び漢文を読んだり作ったりしたらしい
大陸に船で渡って勉強して大変立派になったと思う
当時の国際派ですね
でもそのような人たちの文章は今はあまり読まれていない
大陸になど一度も行ったことがないし漢文も半ばふざけて引用している程度の
宮廷女官文学が1000年たった今、読まれている
これはどういうことでしょうか
当時の最高の知性が書いたものではない
昔の二級の知性が書いたものを現代の二級の知性が好んでいるのでしょうか
そうとも思えない
だから多分
現代の日本人が英語や中国語でなにか書いても1000年後には忘れられているだろうと思うんです
もしかしたら1000年後に読まれるかもなあと妄想して書くなんて素敵じゃないですか