教会のざわめきも一瞬遠くなる
聖書の内容はとても統合失調症的である
しかし聖書を熱心に読んでいる人たちは実に躁うつ病的である
思い出していたのは「ざわわざわわざわわ 風が通り過ぎるだけ」という歌だ
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聖書の内容がどうしてあのような荒唐無稽なものになったのか
どうしてあんなに分かりにくくて伝わりにくいものになったのか
歴史的な経緯をたどる方法があるのだろうと思う
いくつもの対立する考えがあり本があったことは知られていて
結果として現在のものが残ったのだろれど
それがどの程度理由のあることなのか、どの程度偶然なのか、不思議な感じがする
異端として排除されてものは多いし
時代が経過して本流に取り込まれたものもある
私には偶然としか思えない
別の聖書でも良かったような気がする
むしろとんでもなく特殊な嗜好の聖書が残った感じがする
この程度のほうが神秘性があり
なにより、解説をする人間を必要とするので、教会組織には有利だったのだろう
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そんなことを考えながら
沖縄の熱いさとうきび畑を思っていた