1957年、岸首相が初めて核兵器問題について発言しました。 「日本が防衛的核兵器を持つことは許される」。憲法の九条の解釈で、攻撃的な兵器を持たないが、防衛的な兵器は持つことができる。ここで普通の兵器と核兵器を区別する必要はない。したがって、防衛的な核兵器なら許されるというのです。しかし、日本は核兵器を持たないし、持ち込ませない、というものです。その後もずっと日本政府はこの方針を主張し続けてきました。

1957年、岸首相が初めて核兵器問題について発言しました。
「日本が防衛的核兵器を持つことは許される」。憲法の九条の解釈で、攻撃的な兵器を持たないが、防衛的な兵器は持つことができる。ここで普通の兵器と核兵器を区別する必要はない。したがって、防衛的な核兵器なら許されるというのです。しかし、日本は核兵器を持たないし、持ち込ませない、というものです。その後もずっと日本政府はこの方針を主張し続けてきました。(岸首相ではなく、1956年の鳩山一郎首相という説もある)。
 この後、60年安保騒動があり、1965年に、佐藤・ジョンソン会談がありました。この会談で佐藤首相はジョンソン大統領に迫ります。「私は、日本は核武装すべきだと思う。しかし、国民感情としてはしない、したがって、日本政府としても核兵器を所持しようとは思わないけれども、その代わりにアメリカの核の傘の保障が必要である」という発言をします。つまり、佐藤首相はアメリカが核の傘を保証しなければ、日本は核武装する、とジョンソン大統領に迫った訳です。
 1968年には、防衛庁の安全保障問題調査会が、自衛隊と日本の核武装問題をまとめています。
この報告書によれば、日本は核武装する能力があると書いています。その核物質は最近寿命がきて廃炉となりましたが、当時出来たばかりの東海原発から得ることができます。東海原発を使うと軍用プルトニウムを年間240キログラム生産できる。このころ、原爆1発作るのにプルトニウムが10キロ必要と考えられていましたから、日本は年間24発の原爆を作るだけのプルトニウムを生産することがてきたのです。
この報告の前に67年の防衛庁の報告があります。この報告で自主防衛とは何かという事を議論しており、そこで「日本は核武装すべきではない」と結論しています。つまりこの67年報告書は、日本の自衛隊は核兵器など持ちたくないという立場で書いている非常に貴重な報告書です。
 しかし、この68年の報告書でそれが訂正されます。だから67年と68年は別の立場から書かれた報告書という事になります。そして68年報告には東海原発は軍用プルトニウムを年間240キロ生産可能という事まで書かれる訳です。何時でも作れるが、今は作らないという考えです。
 69年、ここらあたりから外務省、防衛庁などは日本の核兵器の問題について非常に慎重になります。それほど67年の報告書で防衛庁が核兵器を持つべきではないと書いた事が衝撃だったのかもしれません。そして、外務省は核兵器製造能力は持つべきだと強く主張することになります。核兵器は外交上の切り札である、こういう能力を持たないと馬鹿にされる、という事になるのかと思います。しかし、干渉を受けないように配慮する。干渉というのは外国からの干渉ではなくて、国民感情からの千渉です。原水禁運動などから日本の核開発が批判されないように尻尾をつかまれないようにするということになります。つまりこれからは核武装問題は機密であるべきだ、という訳です。
【日本の核兵器はどこで使うのか】.
 同じ時期に、防衛庁も核開発について具体的に、核兵器をどこで使うのかという研究を始めます。。核兵器は、防衛的であっても日本人の被害を考えると日本国内では使えない、また外国に対して使うことは攻撃的だから憲法上使えない、しかし公海でなら防衛的に使える。そこで、1969年には、原子力潜水艦に対して使う研究をします。
 そして1978年、この年から核兵器問題を大っぴらに国会で議論する事になります。参議院で法制局長官が「防衛的なら核兵器を保有しても良い」という見解を参議院で報告します。しかし、これは大きなニュースとしては国民に届かなかった。マスコミだけでなく、社会党も、共産党もこれを国民に伝えなかったのです。国民のよく知らない間に、憲法上日本は核兵器を保有してもよいという既成事実になっていたのです。
 1982年の参議院では、法制局長官は「何度も繰り返し申し述べている通り、日本は憲法上核兵器の保有を禁止していない。通常兵器でも攻撃的であれば禁止されるが防衛的であれば禁止されていない。それは核であろうと通常兵器であろうと変わらない。しかし、日本は核兵器を持たないという政策をとっている」という答弁をしたのです。
 この時、核武装推進派の柳沢議員(民社党)は、「核兵器は攻撃的であっても持つべきだ。そうでなければ日本は馬鹿にされる」と質問します。けれども、防衛庁はのらくら逃げまわります。柳沢は攻撃的な核兵器でなければ無意味だと主張するのですが、防衛庁としてはそんな事には答えられない。
 そこで柳沢議員は腹を立ててしまいまして、食い下がりました。「政府の言う使用して良い核兵器とは一体何だ、どこで使うんだ」と質問しました。政府(防衛庁)側はこれに答えません、そしたら柳沢議員はもう一度同じ質問を繰り返しました。そこで仕方なく防衛庁が答えることになります。「繰り返してのご質問でございますので、核地雷という話もございました」と。核地雷なら防衛的だという訳ですね。
 そこで柳沢議員は慌ててしまいました。82年という時期を考えますと、核地雷を置く所はどこかと言えば北海道に決まっています。そこで柳沢議員は慌てて質問を止めてしまうのです。そんな答えが来るとは思っていなかったのです。核地雷を日本の国内に置けば日本人が被害を受ける事は明確な訳です。このことが防衛的な核兵器と普通の防衛的兵器と違う点ですね。
 通常の防衛的兵器でも国民は被害を受けるのですが、それはたまたまそういうことになったと言い訳ができます。しかし、核兵器の場合は、たまたま被害を受けるのではなくて、国民は確実に被害を受ける事になります。したがって、防衛的核兵器というものは存在しない事がはっきりします。防衛庁もそういう研究を67年の段階でしていまして、核兵器は防衛的には使い物にならないのだという事を書いています。したがって、日本が防衛的核兵器を保有できるという政府見解は、防衛的核兵器は存在しない、ということと矛盾することになるのです。
 この問題は重要でして、海上自衛隊が1969年に原子力潜水艦を目標とする核兵器の所有が可能と考えたのは、攻撃的と防衛的の途中の公海だからです。公海なら防衛的だか攻撃的だかそんな事は分からない話で、攻撃的な原子力潜水艦を防衛的に反撃するという議論になるのです。つまり日本が持つ防衛的核兵器とは、公海で使う核兵器であって、日本国内で防衛的に使えるものではないのです。ま、日本
の敗戦が確実になったら、国内でも使うかもしれませんがね。しかし、それこそ日本の軍隊が日本国民を直接攻撃することになり別の意味で憲法違反となりますが、これがまったく議論されていません。
【非核三原則と原子力基本法】
 そこで、1982年の核兵器についての政府見解を整理しておきます。法制局長官は、憲法上防衛的核兵器を所有することは禁止されていないと述べた上で、「ただし、非核三原則という我が国の国是とも言うべき方針によって一切の核兵器を持たない、こういう政策的な選択をしている。これが政府の見解でございます」と述べました。これが1982年までの政府の見解という事になるのです。
 この非核三原則は政策です。政策ですから内閣が何時でも変える事ができます。政府が非核三原則を廃止すると宣言しても、それを止める手立てが無いのです。国策とか政策とかは内閣の方針は、国際情勢が変わればいつでも変えることができるのです。
 それから原子力基本法が核兵器を禁止してると言う人がいますが、禁止なんかしていません、禁止しているのであればそれに違反したときに罰則がなければなりません。この法律は基本法ですから罰則がなく、個別法でこれを具体的に示す必要があったのですが、それをしていなのです。したがって基本法ですから、精神的なものに過ぎないのです。原子力基本法にあるから法的にあるのだなんて見解は法律の間違った解釈です。基本法があって、そして個別の法律に罰則があれば確実なのですが、そういう形にはなっていない。だから国民は騙されています。
 話をその次に進めますが、1994年になって、突然、羽田首相が変な事を言い出しました。「日本は核兵器を持つ能力がある」と発言したのです。これはとんでもない発言で、当時多くの人達はびっくりしました。この発言は、その年の年初めにイギリスのサンデータイムズがイギリス国防相の秘密報告書を暴露したことと関係します。「日本は『濃縮プルトニウム』を組み込めば完成する核兵器を持っている」とする英国防衛省秘密報告書が、その前年の12月に英国内閣に提出されていたのです。
 政治家がある日突然何か変な事を言ったらその裏があると考えるべきです。何かの事実を知って、政治家はそれを自分の心の中に留めておく事ができなくなって、ついしゃべってしまう。
【核兵器は保有だけでなく、使用も可能】
 1998年には、参議院で法制局長官が82年頃まで言っていた話をさらに拡張します、つまり防衛的であるなら核兵器の使用も可能というのです。以前は可能なのは保有だったのですね。今度は使用も可能なのです。保有と使用とは同じだというふうには考えないで下さい。レベルが違います。つまり相手を保有で脅すよりは、使用で脅す方が強力です。政府の方針はそこまで変わって来たのです。
 国会議論の内容をもう少し言いますと、防衛する為に必要最小限度にとどまるなら使用も可能であると公明党の質問に答えました。公明党は核兵器の使用は可能なのかと質問したのです。それに対して内閣法制局長官は、言葉としては使用と言う言葉は使っていません。これは質問の方で使用という言葉を使っているのです。だから必要最小限にとどまるなら可能と言うのは、使用が可能かという質問に対して言った言葉です。
 安倍、福田発言で一番足りない議論は核兵器をいったいどこで使うのか。これが抜けているのです。日本の国会では、先程の民社党の柳沢議員の質問に防衛庁が核地雷と答えたのですが、そのままになっています。
 この問題では、最近、民主党の斎藤議員が質問をしました。参議院の外交防衛委員会です。こういう種類の話はどうやら衆議院より参議院の方が向いているようで政府も参議院で答えようとするし、質問する側も参議院ですね。不思議な事に衆議院はあまりやらないのです。
 ここで斎藤議員は「核兵器というのは本質的に攻撃的兵器で憲法上も禁止されているというふうに解釈を変えなければいけないのではないか」という話をして、「国内で使用するという事は考えられない」から外国で使う事になる。それでは攻撃的兵器で憲法違反になる、という話をしたのです。国会での議論はやっとここまできました。原子力潜水艦の話は、防衛庁内部の話で国会で議論された話ではありません。公海上で使う話はまだ国会での議論になっていません
【自衛隊の体質】
 海軍をそのまま改組した海上自衛隊が今、アメリカ軍の全面指揮下に入って動いています。なぜ海上自衛隊がアメリカ軍の指揮下に簡単に入るのかと言いますと、終戦の時からの関係だからです。戦犯が1人しかいないという事がその事のあらわれですが、日本の軍隊の再建をアメリカは海軍から始めたのです。アメリカは日本の海軍の能力を全面的に利用する方針で、日本海軍を戦犯にせず、この人脈を温存して海上自衛隊を作ったのです。
 したがって、始めからアメリカの指揮下で動く軍隊、この日本の海上自衛隊が日本海、西太平洋だけでなく、インド洋でも動き回っています。そして、全面的にアメリカ軍の指揮下にあります(朝日新聞6月16日)。また、海上自衛隊はイージス艦を3隻買ったそうです。そのイージス艦はアメリカの目や耳となってインド洋で活躍をしています。リムパックの演習でも海上自衛隊はアメリカの艦艇の指揮下で動いています。日本の指揮下ではないのです。このイージス艦のやり方は重要です。日本はアメリカの兵器を買って、それをアメリカの指揮下で使うのです。
以上、2002年10月14日、名城大学 槌田 敦教授