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校閲は、滅びつつある職種だ。
紙の雑誌が衰退し、中小の出版社が校閲の専門家を雇用しておく余裕を喪失するとともに、この10年ほどの間に、わが国の出版界において、校閲の水準は驚くほど急激に下降している。
校閲について知識を持っていない人のためにざっと解説しておく。
「校閲」とは、原稿の誤りや不備をチェックして、それを訂正する作業を指す言葉で、その作業をする専門家を校閲者と言う。
朝日新聞社のような伝統ある新聞社の校閲は、大変な能力を持っている。
私自身、「Asahiパソコン」(←今はもうありません)で、連載を持っていたこともあって、あの会社の校閲の人々には、ずいぶんお世話になった。彼らは、誤字脱字や言葉の誤用はもちろん、前段と後段の間に潜んでいる論理矛盾や、事実関係の食い違い(たとえば、名前を挙げたテレビ番組が、私が書いたタイミングで放映されていなかったこととか)など、普通の人間はめったに気づかない細かいミスを、細大漏らさず指摘してくれる。私自身、校閲の皆さんのチェックのおかげで、恥ずかしいミスをいくつつぶしてもらったか知れない。
その校閲が機能していないのだとすると、これは、非常に憂慮すべき事態だ。
というのも、校閲は、ある意味で、出版文化の最後の砦だからだ。
雑誌という、効率の悪い(つまり、ヒトとカネを注ぎ込まないと良い記事が生産できない)システムにおいて、校閲は、そのクオリティーを最後の線で支える役割を持つ。
費用対効果は、もちろん、非常に低い。
だから、ウェブ系の記事では、ほとんど省略されている。
ちなみに、わが日経ビジネスオンラインも校閲者を置いていない。まあ、無料メディアなのだからして仕方がないと言えば仕方がないところなのだが、この種の専門職は、ひとたび無くなってしまうと、再生不能になるケースが多い。文楽のような古典芸能だけが、絶滅に瀕しているわけではない。もしかしたら、紙の出版にかかわる技術や編集思想を後世に伝えるのは、あと10年が勝負なのかもしれない。そう思うと実に心細い。
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