“ 感受性を磨くためにはどうすればいいか? とても漠然とした質問なので、僕の回答も漠然としたものになってしまいます。感受性を身につけるためには、努力が必要です。何かがほしいと思ったら、こちらも何かを差し出さなくてはなりません。大事なものがほしければ、大事なものを差し出す必要があります。ただほしいと思って身につくものではありません。僕はそれを「身銭を切る」と表現しています。もっと簡単にいえば、「痛い思いをして、身体で覚えていくしかない」ということです。ある程度痛い思いをしないと身につかないことってあるんです

感受性を磨くためにはどうすればいいか? とても漠然とした質問なので、僕の回答も漠然としたものになってしまいます。感受性を身につけるためには、努力が必要です。何かがほしいと思ったら、こちらも何かを差し出さなくてはなりません。大事なものがほしければ、大事なものを差し出す必要があります。ただほしいと思って身につくものではありません。僕はそれを「身銭を切る」と表現しています。もっと簡単にいえば、「痛い思いをして、身体で覚えていくしかない」ということです。ある程度痛い思いをしないと身につかないことってあるんです。
どんな痛い思いか? それは人によってそれぞれに違います。ひとつだけ言えるのは、気持ちよく生きて、美しいものだけを見ていても、感受性は身につかないということです。世界は痛みで満ちていますし、矛盾で満ちています。にも関わらずきみはそこに、何か美しいもの、正しいものを見いだしたいと思う。そのためには、きみは痛みに満ちた現実の世界をくぐり抜けなくてはなりません。その痛みを我が身にひりひりと引き受けなくてはなりません。そこから感受性が生まれます。
少なくとも僕はそのように考えています。No pain, no gain.ということです。僕がきみくらいの歳のとき、何かを書こうと思っても、何も出てきませんでした。でも29歳になったときに、何かを書きたいと強く思いました。たぶんいろんな苦痛が、僕を成長させてくれたのだと思います。