“気晴らしに必須なのは、気晴らしのための時間である。晴ればれとするには、そのための時間を用意しなくてはいけない。私はまず、そのように考えた。
鬱々とした心で一日を過ごそうと思えば容易である。これまでの自分の生活パターンをこれまで通りに踏むだけで、好きなだけ鬱々と時を過ごすことができる。
しかし、いざ気を晴らそうとすれば、それは困難なことだ。鬱屈した者にとって、もっともたやすいのは、これまで通りに鬱屈していることである。日々はたやすい方向へと落ちる。”
山村修「気晴らしの演習」『気晴らしの発見』新潮文庫