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インドとパキスタンは民族的には同じ人たちなのだが、宗教上の対立もあって、とにかく仲が悪い。インド人の8割は多神教であるヒンドゥー教徒で、パキスタン人の大半はアラーを信じる一神教のイスラム教徒なのだ。
インド領でもパキスタン領でもない何キロかの距離を大きな荷物を担いで歩かねばいけなかった。
朝はやく国境を越えようとホテルを出て
きたはずなのに、パスポートの手続きやなんかで手間取って、バスがパキスタン側のラホールの町に着いたころにはすっかり夕方になってしまった。いよいよ悪評高いラホールの町にやってきたのだ。
ラホールの町の名誉のためにいっておかないといけないが、ラホールだけが悪名が高いわけではなくて、国境の町には隣り合う国の文化や習慣、貨幣制度、法律の微妙な違いで商売をしている人たちが多い。
貨幣の交換レートやこっちでは高い商品が法律の関係やなんかですごくやすくなったりする。ようするにいろんなことを企んでいる人たちがいっぱいいる町なのだ。
バスから降りたときにあんまりインドと様子がちがうので戸惑ってしまった。
インドならバスから降りると客引きの子供やリキシャのあんちゃんたちがいっぱい群がってきて断るのが大変なのが普通なのだが、どういうものかこの街ではだれも来ない。どうも勘が狂う。妙なものでインドではうるさいほどの客引きでも、やっぱり誰も来てくれないと寂しい。
どこにいったら安宿があるのだろうか。
インドはガイドブックのお世話になったのだが、パキスタンはガイドブックなしでいこうと思っていた。ラホールではラホールホテルが安全でいいという話はデリーできいてきたのだが、そのホテルがどこにあるものか知らなかったし、聞いたところの一泊の値段は僕の財布の許容量以上だった。実はパキスタンのルピーはインドのルピーよりかなり安いのだが、
長旅を想定して、ずっとこれ以下はないというような超安宿しか泊まってなかった。このときくらいは高級ホテルに一泊というのもありだったろうが、
もっと安くて安全なホテルはないかと欲張ってしまった。
客引きのにいちゃんかリキシャのあんちゃんに聞いたらわかるやろう。
ラホールは一泊だけだし、どんな宿でもいいから適当にホテルに泊まっておいて明日からはラワルピンディの安ホテルで少しのんびりしよう。
そう思っていたものの、誰も客引きがこないというなは正直こまった。ラホール行きからイスラマバードやラワルピンディへすぐにいければ問題なさそうなのだが、汽車はもう夕方でなくなっていたし、安全といわれていた駅の中のレイルウェイリタイヤリングルームは部屋の数がすくなくて、もうすでに金持ちそうなパキスタン人でいっぱになっていた。駅前にはたった数ルピーで泊まれるという野っぱらにベッドを並べただけという貧乏人御用達の超安宿があった。どんなものか経験してみたかったが、そんな冒険をするには少しばかり疲れすぎていた。やっぱりもうちょっと安全なところに泊まりたい。国がちがうといろんなことがあまりにも違っていて、ウロウロするばっかりだった。どっか安ホテルを自力で見つけて泊まりたい。
こんなにホテルに神経質になっているのには理由があった。どこの国境の街でも事情は同じようなもんらしいけど、特にラホールは旅行者にとってはかなり危険だといわれていて、いろんな人からホテルだけはお金を多めに払ってもいいホテルに泊まりなさいといわれていた。
勘をたよりに安宿街を探そう。安宿の匂いのする方向へ重たい荷物を持ってよたよたと歩きはじめた。
なんということはなかった。駅裏にすぐ安宿街はみつかった。ホテルはいくらでもあった。こんどは選ぶのが大変なくらいだった。ほっとしながら歩いていると客引きの男の子が寄ってきた。なんや、やっぱりインドとおんなじやんか。そのうちの一人の男の子は「インドからきたんか?」「パキスタンは初めてか?」「ハッシシはいらんか?」などと聞いてきた。
それがあとで重要な意味があるとはそのときは気がつかなかった。「安くてきれいで安全な宿につれていってくれ。」と念をおしておいて、その子についていった。
その子がつれていってくれた宿は白いペンキで壁が塗られた清潔そうなホテルだった。その名も『ロイヤル・シティ・ホテル』
インドの感覚だとこれは安宿ではない感じがしたのだが、一泊の料金はインドの安宿よりも安かった。なによりうれしいのはホットシャワーが出るということだった。案内された3階の部屋は清潔で天井も高く、壁はしっくいで塗られていた。壁の高いところに窓が作ってあった。インドではおなじみの鉄格子もなかった。鉄格子は泥棒よけなのだが、安全とはいえ、自分も囚人になってしまったような気がしてすきではなかった。
ベッドもきれいでシーツも毎日かえているようだった。自分にはもったいないような宿だった。
ただ、ほとんど客がいないようなのが気になった。
2階にレセプションがあった。顔に傷のあるマネージャーはやはりインドからきたのかとかパキスタンは始めてかなどとさっきの男の子と同じようなことを聞いてきた。
あまり感じのいい人ではなかった。
ニヤニヤしながら、「日本人の女の子たちが2階の部屋に泊まっているよ。いま外出してるみたいだけどね。このホテルは安全なのでシャワールームに行くときでも部屋に鍵なんかしめなくても大丈夫だよ。」
などと変なことをいった。
しきりにインドとは違うのだというのを強調していた。
うさんくさかった。
それでもラワルピンディまでの交通のことは聞いておいたほうがいいと思って聞いてみた。
「ここからは列車しかないね。始発の列車は朝早いので、国境を越えてきて疲れているあなたには適当ではないでしょう。5時間ほどでついてしまうので、朝9時30分ごろの列車で充分ですよ。無理せずにそれに乗ったらいいですよ。」
明日出発するかどうかも、泊まっているとかいう日本
人にあってそのへんの情報も手にいれたいなあ。パキスタンのガイドブックを持ってこなかったのは痛いけど。なんとかなりそうだ。
人にあってそのへんの情報も手にいれたいなあ。パキスタンのガイドブックを持ってこなかったのは痛いけど。なんとかなりそうだ。
できたら今晩でも話ができたらなあ。
部屋には当然鍵なんかついてなかった。そんなことは期待のかけらもしてなかったので、持参の自転車用の鎖鍵でドアと壁をくくりつけて番号鍵をかけておいた。
荷物を置いて、待望のホットシャワーを浴びにいった。インドで経験したどのホテルよりも狭いシャワールームには着替えや貴重品を置く場所すらなかった。そんなことだろうとビニール袋を持っていったのだが、それがなければ何もかもびしょぬれになるところだった。わざとそういう風に作ってあるようだった。
熱いお湯がたっぷり出た。ありがたかった。
部屋に入ろうと鍵を調べてみると番号が変わっていた。記憶違いだろうか。誰かが番号をまわしたのだろうか。
心配になってきた。お金や貴重品はいつも持ち歩いているし、別に大きな荷物がとられたところで、そんなに大事なものははいってない。命までとられるわけではなさそうなので、番号を変えて、その番号を今度はしっかり覚えておいて、食事にホテルの外へ出た。
やはりインドとはいろんなことの勝手が違っていた。食堂では肉を使った料理が多くて、おいしかったがインドのベジタリアンの食事になれた胃には刺激が強かった。インドでは安いという理由でほとんど毎日ベジタリアンのような食事だったのだ。
散歩がてら安宿街をぐるっと一周してみたのだが、日本人や西洋人の旅行者らしい人には誰も会わなかった。
みんなどこへ行ってるのだろうか。
1時間ほどで部屋に帰ってくるとやっぱり番号鍵の番号は回っていた。だれかが番号鍵を触っているのは間違いない。この宿はだれかが言っていた泥棒宿なのかもしれない。もうこの鍵の番号はわかってしまったのだろうか。
どこかでだれかが隠れて僕のことを見張っているのかもしれない。
あのうさんくさいマネージャー氏のいう日本人の女の子たちが泊まっているというのも僕を安心させるためにうそをいっただけなのだろう。やっぱり僕以外には誰もこのホテルには泊まっていないみたいだった。
部屋に入ってみたが荷物も動かしたあともないし、誰かが部屋に入った形跡もなかった。ホテルを変えようかとも思ったが、こんな夜になってから知らない街をうろついたところで、ここよりいいホテルが見つかるあてもなかった。
すくなくても今晩だけ部屋から出ないで泥棒に気をつけていれば、明日の朝になんとかできる。明日までの辛抱だ。ドアの内側にその番号鍵をつけて、さらにロープできつくドアとロープをくくりつけた。誰かが力づくでドアを開けようとしたらベッドが動いて気がつくだろう。今晩はできるだけおきておこう。
気を張っていたつもりなのだが、国境を陸路で越えるのはいつもながらかなりエネルギーをつかるものらしくて、知らないうちにぐっすり眠ってしまった。
その夜はなにも起こらなかった。久しぶりにぐっすりと眠れた。
気持ちよく朝を迎えることができた。高い窓から入ってくる朝の日の光は清潔な部屋を照らしだして気持ちよかった。小鳥が窓から入ってきて部屋中をぐるぐると飛んでまた出ていった。
パッキングをしてしまうとすこし安心した。もう、チェックアウトをして列車に間に合うように駅まで歩いていくだけなのだから。
ドアにノックがあった。ドアを開けると昨日このホテルにつれてきてくれた子供だった。インドならこういう男の子と知り合ったらすぐに仲良くなって冗談をいいあう仲になるのだけど、この男の子は目もあわさず、自分の名前をいうわけでもなく、言葉も少なかった。
部屋を掃除させてくれという。ことわる理由はなにもなかった。
部屋を丸く掃くというのはこういうことを言うのだという掃除ぶりだったが、掃除が終わると2つあるベッドのうちのひとつにすわった。僕はもう一方のベッドに座っていて、ザックのポケットから取り出したノートを見ていた。ウルドゥー語とうパキスタンの言葉を練習したいと思ったのだ。その言葉で話しかけて少し会話をした。
ふつうなら地元の言葉を話せば大喜びしてもらえるのだが、彼は別に喜ぶ風もなく、落ち着かない様子で何かを待っているようなそぶりだった。
どうしたのかな。なにか面白いことでも言って笑わそうかな。
とかのん気なことを考えていた。
その子はシャツのポケットからタバコをとりだした。火を貸してくれという。僕はタバコは吸わないので、「ない。」
というと、別に困った風もなく自分のマッチを取り出して火をつけた。
それがタバコでないのはすぐにわかった。
ひとしきり吸うと、そのタバコを僕に手渡した。
そのときいきなりドアがバタンと開いて、銃をかまえた3人の警官が飛び込んできた。
25年の刑
「手をあげろ。現行犯で逮捕する。25年の刑だ。」
ええ、どういうことなんや。
「おまえはハッシシを持っているという通報があった。パキスタンの法律ではハッシシの所持は25年の刑だ。」
その法律のことは聞いたことがあった。知ってはいたが中身のないざる法というのもしっていた。
ハッシシというのは大麻の樹脂を固めたものだ。大麻は日本ではたいそうな麻薬あつかいだが、インドではかなりの人が愛好していて、タバコみたいなものであった。
合法の州もあって、州政府直営の販売店もあったりする。鉄格子の窓のおくに座った、制服ひげ面の州政府の役人が「バリューセットでオピアムもいかが?」と聞いてきたりもする。
それでつい旅行者も持ったまま国境を越えてしまったりする人もいる。パキスタンでも大麻は建前上は禁止されているが、インドとそんなに
事情はかわらず、まったく普通にたばこのように吸っている人も多い。
事情はかわらず、まったく普通にたばこのように吸っている人も多い。
警官ですら吸っている。しかし建前は建前で、それをいいことい金儲けをたくらむやつらもいる。警官や役人が空港や国境、列車などで、大麻にかぎらず、旅行者にとっては見つけられてはまずいものを強制的に荷物を検査して見つけて、もみ消すかわりにワイロを請求するということが当然のようにおこなわれていた。
「お前の荷物を検査する。」ああ!やっぱりそうきたか。でも、やってもらおう。何にも出てくる訳はないし。
警官のうちの一人がせっかくきれいにパッキングした荷物をほどいて中を調べはじめた。もう一人はライフルの銃口を僕に向けたまま怖い顔をして立っている。
あとの一人は棍棒をもって頭の上に構えている。いつでも殴ったるぞという構えだ。のどが急に渇いてきた。
やれやれ面倒くさいことになったな。でも、調べて、“ない”ということになったらどうなるのかな。
列車には間にあうんかな。
やっぱりそのときでもまだ、僕は思いっきりの甘ちゃんなのだった。
なんと、荷物の中からハッシシの一塊がでてきた。
「ほら、やっぱり持ってたやないか。」この警官が手に持っていたんだ。
完全にはめられた、これはみんな芝居なんや。みんなもうわかってやってるんや。現行犯というなら共犯のはずのあのお子とここはどこへいったんや。
あの子のことはぜんぜん眼中にないやんか。
あの子が合図を出したんや。
泥棒宿というのはどろぼうがよく出る宿という意味とちゃうねんや。
泥棒が経営している宿なんや!この宿ごと泥棒なんや!まずいことになった。
「そんなん僕は知らん、あんたが入れたんやろ」大声をだしたが、銃を僕に向けている警官はニコリともせずに僕をにらんでいる。荷物を検査した警官はハッシシを片手でもて遊びながら、こういった。
「証拠はあがったようだね。困ったね。25年の刑になるよ。」
心臓のバコンバコンとい音しか聞こえなくなった。
昔ビデオで見た「ミッドナイトエクスプレス」という怖い映画を思い出した。トルコで大麻でつかまったアメリカ人が長い間恐ろしい監獄へ入れられるという映画だ。なんでこんな大変なときにそんなもん思いだすねんやろう。
シナリオ通りに開けっ放しのドアからマネージャー氏がにこやかに入ってきた。
そうして間の抜けた質問をするのだ。
「いったいどうしたのですか?」
いったいどうしましたか?
よういうわそんなこと。最初からだまそうと思っていたくせに。
怒りと情けなさで頭がいっぱいになってしまっていた。
せっかくこの国の言葉も習ってきたし、この国の文化も勉強したいと思ってきたのになんでこんな目にあわなあかんのやろう。
マネージャー氏はにやにや笑いながら、やっぱりにやにやしている、ハッシシの警官と台詞を言い合っている。
「こいつがねハッシシをもっていてね。」
「ええ!!そうなんですか。それはこまりましたね。」
マネージャー氏はこんどは僕に向かって、
「困ったことになりましたよ。パキスタンではねこれは25年の刑なのですよ。」
もうわかった。どうなと好きなようにしてくれ。
そうかもうわかってんねんなというような顔をしながら警官とマネージャー氏は目くばせをした。でも、あくまでも芝居はやめようとはしない。
今度は警官の出番だ。
「キミのパスポートをチェックする。パスポートを出しなさい。」
そらやってきた。この命令に、はたして、僕はどう答えるのがいいのだろうか。素直に命令に従って、おなかの周りに巻いている旅行用の腹巻の中からパスポートを取り出すべきなのだろうか?
もちろんそのなかには米ドルやトラベラーズチェックも入っている。
この警官らとマネージャーがじっと見ている中で取り出さないといけない。
「いやだ。」
というとその警官の目が怒りで光った。
ドシンと背中に何かが当たった。目の前が真っ暗になった。気がついたら腹ばいになっていた。痛い。後ろにいた警官が僕を棍棒でなぐったのだ。
完全に僕は切れてしまった。
僕はその棍棒をとりあげようとして、警官に殴りかかった。もみあっているうちにハッシシの警官が僕に殴りかかってきて、その警官に棍棒は渡ってしまった。背中や肩や腕や脚や胸をなんども殴られてしまった。
死ぬ覚悟はできた。
殴られながらも一人の警官の制服をびりびりに破いた。その警官も怒ってなんども殴ってきた。
なんでこんなことになってしまったんやろう。
情けなくてたまらなかった。
もうこのまま僕はここで殺されてしまうのかなあ。
わざわざこんなところまで死ぬためにやってきたんかなあ。
僕の人生って何やったんやろう。
2人の警官ともみ合っている間中、やっぱり3人目の警官は銃を構えて僕を狙っていた。
僕は死ぬのだ。
あの銃にこめられている弾丸で僕は死ぬのだ。痛いかな。もうあちこち痛いのかどうかさえわからんようになっていた。
もう、ええわ。思いっきり暴れて、撃たれて、死んだんねん。
殴り合って気が遠くなりながら、一瞬のうちにいろんなことを考えたらしい。
変なことに気がついた。
何で 頭を なぐら へんのやろう。
何で 銃で ドカンと一発撃ってしまわへんねんやろう。
僕はもうさっさと死ぬ覚悟はできているのに。
3人もいててこんなへなちょこ日本人をやっつけられへんか?
なんで手錠や縄をかけへんねん。
へんやん。おかしいやん。
僕が死んだり、怪我したりしたらまずいんや。なんでまずいんや?
さっさと手錠を掛けて警察所につれていけばいいのになんでここでパスポート見せろとかいうんや。
もうろうとする頭の中で考えた。
3人は本もの警官か偽の警官か。
もし職務に忠実な本物の警官だとしたら、さっさと僕を捕まえて手柄にするはず。でもたいした手柄にもならないこんなめんどくさいことをするかな。
マネージャーのにいちゃんと組んでるみたいなのでこの線はないやろう。
すると本物の警官がアルバイトで泥棒と組んでるばあい。
それはちょっとまずいかも。
あんまり暴れると本当に怒らせてしまって、公務執行妨害とかなんかで本当にパスンと頭に穴をあけられてしまうかもしれない。
すくなくともブタ箱いりまでは間違いないだろう。
ますますこれはミッドナイトエクスプレスだな。
でも、やっぱりこれだけ僕に殴られていても我慢しているのは腑に落ちない。
これだけ芝居の姿勢をくずさずに建前でやっているのも変だ。
やっぱり偽警官だろう。
僕がここで自分の非を認めて、パスポートを見せると多分彼らはそれを取り上げるだろう。この偽警官らにはパスポートはたいした価値はないが、とられてしまうと困るのはカモの旅行者たちだ。
そこで正義のマネージャー氏が登場するのだろう。
「警官の旦那。これはあまりにかわいそうというもんですよ。たった一回の過ちですし、本人もこうやって反省しているようなので、どうか許してあげてください。」そこで警官の旦那のせりふはこうだ。
「そうだな、マネージャーのあなたがそこまで言うのなら初犯のことでもあるし、なんとか考えてみよう。そうだこのパスポートをこいつの今の全財産で買い戻すというのなら警察の本署にはだまってやってもよいぞ。」
「ははー、それはありがたい。よかったね。警官の旦那もこうおっしゃってる。大変だろうが、あなたの今の全財産を払って今日のことはなかったことにしてもらったほうがいいよ。そうでなかったら25年もブタ箱に入っていなきゃだめなんだよ。全財産なんて安いもんさ。」
建前だけの法律とはいえパキスタンの法律を犯してしまったと思い込んでいるひとにはこれで充分だ。
かくてその旅行者はじぶんのパスポートを自分の手持ちのお金で買い戻すということになる。
「トラベラーズチェックもお金に換えとこうね。」
という正義のマネージャーのお言葉でほんとに持ちがねすべてを払うことになる人もいるだろうな。
銀行でトラベラーズチェックにサインして換金して、マネージャーに渡して、警官に渡る。そうして後で4人で山分けという寸法だ。ああそうだ、手引きをしてくれたあの子供にもお小遣いをはずんでやらなくっちゃね。
旅行者のほうは法律を犯しているわけだから警察に泣きこむというのもないやろう。ニセ警官一派は安泰なのだ。
そうしてまたつぎのカモがやってくるのを待つというわけだ。
カモはつぎからつぎへとやってくるのであんまりへんな噂がたつのはよくないし、怪我をさせたり、殺してしまったりしたらあとあと面倒だ。
ここのところをすこし我慢しておけば、この商売はめちゃくちゃうまみがあるのでことは内密に運びたい。
それが僕を傷つけたり、頭を殴ったりしない理由だろう。
カモは一人旅の間ぬけな金のありそうな旅行者。できることなら腕力はなさそうで、気も弱そうなのがよい。
パキスタンには初めてでインドはたっぷり旅してきて、インドボケしているようなのが最高だ。
誰も傷つけずに金持ちのぼけた旅行者からのお金を貧乏な俺たちがちょいと現生の間お借りするだけなんだ。
なにこの旅行者だってたいして困りはしないのさ。しばらくどっかの宿にいて国のおかあちゃんかおとうちゃんから送金してもらえればいいんだ。
そんんあに困るというなら宿代ぐらい残してやってもいいけどよ。
こののん気な旅行者は自分の国に帰りゃおれたちゃにゃ一生かかっても稼げないような大金をあっというまに手にいれることがでくるんだ。これくらいおれたちがもらったってバチはあたるまいさ。
怪我はさせないよ。おれたちは泥棒なんだ。プライドがあるんだ。頭を使って、人様の余ってるお金をちょっと拝借して、本当に困っている人に配るだけさ。とりあえず、一番困ってるのはおれたちなんだけどよ。
ほとんど一瞬のうちにこれだけのことを考えてしまった。死にものぐるいというのはこういうことなのか。からくりは大体わかった。おまけに解決方法もひらめいた。でも、絶対に間違いなくこいつらがニセ警官であってくれなければ困る。さもなければ25年はどうかしらんけど、裁判になるか、すくなくても何日かは
拘留されることいなるだろう。はめられたことがわかっていても、やっぱりこのようなシナリオのとおりに事はすすんでゆくんだろうな。
ただ、このニセ警官どもの大誤算があった。
それは僕を本当に怒らせてしまったことだ。
僕は本当に頭にきてもう死んでもいいと思ってしまった。悪いとこはなにもしていないのだから僕がはらがたつのは当たり前だった。
はめられたことはもちろん腹だたしかったが、せっかく、あこがれてやってきた国でこんあ目にあってしまったことや、こんな風にはめられてしまう自分に腹立たしかった。
彼らからすれば金持ちの国からやってきた、ただのぼんぼんにしかすぎないのだろうなあ。
それに彼らもおどろいたかもしれないけど、あっさりともう「死んでもええわ」と思ってしまったことに自分でもびっくりした。
受験や競争にへとへとになってしまったのか、いつの間にか学校へはいけなくなった。引きこもりというやつだ。ようやっとすこしづつ世間に出始めた。でも、机の上の勉強にはもうあきたらなかった。
たまたま縁があったかアジアのことを学ぶはめになってしまった。本や映像だけではなく実際にこの目で見たいとやってきたアジアの国々はそれはそれは活気に満ちていた。
生や死が道端にあふれかえっていた。そうだ自分たちはこの地球に生きているのだ。
ほっとしながらあちこちほっつき歩いた。別にインドが神秘の国だとか、アジアの国々が理想だとか思ってきたわけではなかった。ただありのままの姿がありがたかった。これらの国々に住む人々もいろんなしきたりやしがらみの呪縛のなかで厳しい暮らしをしているにちがいなかったけれど、自分にとっては宙に浮いていた足がちゃんと地面についたような安心感を感じさせてもらった。
初めての旅はそんなほっとした気持ちで大笑いしながらの旅であった。
今回ももちろんそのつもりで旅をしてきたハズなのに、はめられたことで、やっぱり、自分は裕福な国ののん気な旅行者にすぎないのかという情けない気持ちになってしまった。
もちろんそのとおりにちがいないのだが。そのせいなのか、もうええわ。とあっさりした気持ちになってしまって、怒っているわりには、なんだかやたら頭のなかがすっきりと冷静なのだった。
僕の服もびりびりと破られてしまった。一人の警官の首根っこにしがみついたところで胸の名札が目に入った。
冥土の土産だ名前を覚えといたろ。
なんとかsinh と読めた。
ふうん。シーク教徒か? ??? あれ? この警官の制服おかしいな。
これはインドの警官の制服やんか。
カーキ色の服にベレー帽だ。確か国境で見たパキスタンの制服はブルーのセーターにブルーのベレーだった。
これで間違いない。
こいつらはニセ警官だ!!
ふとももに決まった棍棒の一撃でもう立てなくなった。はあはあと荒い息をしているのは僕だけではなかったけど、勝ったぞという雰囲気がニセ警官側にはあった。
もう僕にはこれ以上戦う気力も体力もなかった。あとはひらめいたことを一か八かやってみるだけだ。
「おとなしくパスポートを見せるんだ。さもないと警察署にしょっぴくぞ。」
なるほどこんだけ暴れまくる面倒なやつでも警察にはいかへんというわけや。
「わかった。もう、諦めた。25年の刑は覚悟した。」
「警察署にいって見せるから、つれていってくれ。」
「え!なんだって!」
「もう、25年の刑は覚悟したから警察署につれていってくれ。」
「だめだ、ここでパスポートを見せるんだ。」
「いや、だめだ。こんなとこでめんどくさいことはかなん。警察署ですべてなにもかもする。25年でもなんでもやってくれ。」
警官たちは困った顔をしている。
「きみらがいってくれへんねんやったら、僕ひとりでいってくるわ。」
あちこちちらばった荷物をザックにぎゅっとつめて、気力を振り絞って、えいっと背負った。ニセ警官たちはポカンとしていた。
まるでマンガみたいなことになった。さっきまでドタバタなぐりあっていたのはなんやったんやろ。
重たいザックを背負い、あちこちの痛みのせいでおぼつかない足取りで階段を降りようとする僕を4人があっけにとられて見送るという場面になった。。
信じられない。こんなにうまくいくなんて。「それじゃ、警察に行って、自首してくるからね。」「うん、そうかいってらっしゃい。」
なんというまぬけな結末!まるでよしもと新喜劇やんか。
わざと堂々とゆっくりと階段を降りた。階段を降りきるまで、連中の気が変わって追いかけてくるんちゃうかとどきどきしていた。
すぐにやってきたオートリキシャに飛び乗って駅に向かった。運転手によるとラワルピンディー行きのミニバスなんかそれこそ5分おきになんぼでも出ているという。ミニバス乗り場に連れて行ってもらい、すぐにバスに乗り込んだ。1分も待たずにミニバスは全速力で走りだした。しばらくのあいだはまだ追いかけてくるのではないかと恐ろしかった。
もう大丈夫とおもい始めるとあちこち棍棒でたたかれたところが痛みはじめた。
気がついたら、パキスタン人のおばちゃんやシャルワールを着たおねえちゃんや人形を抱いた子供たちに囲まれていた。
パキスタンの日常の世界だった。たった5,6分でまったく違う世界にやってきたんだ。よかった。助かった。じわーと安心感とうれしさがこみあがってきた。それに宿代も払ってないことに気がついた。やったぜ。
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