徒然草第164段:世の人相逢ふ時、暫くも黙止する事なし。必ず言葉あり。その事を聞くに、多くは無益の談なり。世間の浮説、人の是非、自他のために、失多く、得少し。 これを語る時、互ひの心に、無益の事なりといふ事を知らず。 ーーーーー 世の人が会う時には、少しの間も沈黙していることがない。必ずそこには雑談・世間話の言葉がある。その話を聞いていると、多くは無益な雑談である。世間に流布している根拠のない噂話・評判、他人の良いことと悪いことについての雑談、自分と相手にとって失うものばかり多くて、得るものは少ない。

徒然草第164段:世の人相逢ふ時、暫くも黙止する事なし。必ず言葉あり。その事を聞くに、多くは無益の談なり。世間の浮説、人の是非、自他のために、失多く、得少し。 
これを語る時、互ひの心に、無益の事なりといふ事を知らず。
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世の人が会う時には、少しの間も沈黙していることがない。必ずそこには雑談・世間話の言葉がある。その話を聞いていると、多くは無益な雑談である。世間に流布している根拠のない噂話・評判、他人の良いことと悪いことについての雑談、自分と相手にとって失うものばかり多くて、得るものは少ない。 
こういった世間話をしている時には、お互いの心に無益・無意味な話をしているという自覚がない。
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そうではなくて、そういう無駄話を通して、対人関係を築いているのだろう。対人関係を築くのも無益といえば無益、しかし益といえば益である。苦しみの大半は対人関係なのであるから、その対策とも見える。