徒然草第165段:吾妻の人の、都の人に交り、都の人の、吾妻に行きて身を立て、また、本寺・本山を離れぬる、顕密の僧、すべて、我が俗にあらずして人に交れる、見ぐるし。 ーーー 東国(鎌倉)の武士が京の人と交わり、京の貴族が鎌倉で立身出世をする。また、京にある本寺・本山を離れた京の僧侶が、顕教・密教を入り混ぜて自分の宗派とは異なる修行(勤行)をする。すべて、自分が属している生活圏の風習から外れた人(本来自分が居るべき場所にいない人)というのは、どこか見苦しいものだ。 ーーー これは微妙な問題であるが、たしかに

徒然草第165段:吾妻の人の、都の人に交り、都の人の、吾妻に行きて身を立て、また、本寺・本山を離れぬる、顕密の僧、すべて、我が俗にあらずして人に交れる、見ぐるし。
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東国(鎌倉)の武士が京の人と交わり、京の貴族が鎌倉で立身出世をする。また、京にある本寺・本山を離れた京の僧侶が、顕教・密教を入り混ぜて自分の宗派とは異なる修行(勤行)をする。すべて、自分が属している生活圏の風習から外れた人(本来自分が居るべき場所にいない人)というのは、どこか見苦しいものだ。
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これは微妙な問題であるが、たしかに、自分の育ったテリトリーでないところに行くというのは、なにか問題があったのだろうと推測するのが妥当な場合もある。
しかしまた、いろいろあって、こうなりましたというのも、人生であるから、決めつけるものでもない。