徒然草8段:世の人の心惑はす事、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。
匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳に薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。久米の仙人の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、通を失ひけんは、まことに、手足・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外(ほか)の色ならねば、さもあらんかし。
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人の心を迷わすもので、色欲(性欲)に勝るものはない。人の心とは愚かなものであるな。
女の匂いなどはそれは本人の匂いではなく、服に付けた仮り初めのもの(焚きしめた香料の匂い)だと分かっていながら、いい匂いのする女に出会うと、男は必ず胸がときめくものである。久米の仙人が、洗濯女の白いふくらはぎを見て神通力を失ったという逸話があるが、本当にそういうことがあってもおかしくはない。女の手足・素肌のふっくらした肉付きの良さや華やかな美しさというのは、(仮り初めの香料などではなく)身体そのものの美しさ・魅力なのだから抵抗しがたい。
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若いうちはそういうものかもしれない。
しかし次第に、どのような魅力的な異性であっても、父と母の遺伝子をもらっていると考えて、父と母の様子を考えたりすれば、魅力も半減するものである。そして、あの一族の一員かと認識するようになり、魅力はさらに半減する。
自分に異性の兄弟姉妹でもいれば、所詮はその程度のものかと、分別もつくはずである。